『逸周書』から観る小規模戦闘 その2

はじめに

今回は、前回の続きです。

『逸周書』に記された、
主に、100名の
小規模戦闘について
綴ります。

それでは、本論に入ります。

1、100名の戦闘配置・伯

前回、『逸周書』では、

25名の部隊を
「卒」と称し、
縦5名横5名の25名で
方陣を組む、

と、記しました。

そして、これを受けて、
次の上位の編成単位ですが、

卒を4隊並べることで
「伯」と称します。

これについて、

『逸周書』「武順」
以下のような文言があります。

五五二十五を元卒といい、
一卒に居りといい、
一卒に居りといい、
左右一卒をといい、
四卒で衛をしといい、

衛:防御。ここでは陣形か。

五五二十五曰元卒、
一卒居前曰開、
一卒居後曰敦、
左右一卒曰閭、
四卒成衛曰伯、

25名の方陣を
前後左右に配置し、

前を「開」、後ろを「敦」、
左右を「閭」と、
それぞれ称します。

で、図にあらわすと、
以下のように
なるのです、が。

『逸周書』(維基文庫)、薛永蔚『春秋時期的歩兵』より作成。

ここで問題になるのは、

卒を十字に配置した後、
真ん中に何が入るのか、

言い換えれば、

開・閭・敦の4隊は、

一体、何者から見て
前後左右にあるのか、

ということです。

で、残念ながら
正解者への読者プレゼントは
御用意出来ません、

と、言いますか、
既に、答えのようなものを
描いてしましましたが、

実は、コレ、
勘の悪いサイト制作者は、

一読した折には、

恥ずかしながら、

そのような疑問すら
持ちませんでした。

と、言いますか、

そもそも、

25名の部隊を
どのように配置するのかが
分かったことで、

舞い上がっていたのが
正直なところです。

で、そのような見落としが
発覚したのが、

『春秋時期的歩兵』
該当箇所を読み直した折のこと。

余談ながら、

サイト制作者
だけなのでしょうが、

初読時のイメージと
記事に起こす際に
読み直した時のイメージで
大きな差異が生じて
面喰うことが
少なからずあります。

そのためか、

高い読解力を
持ち合わせる方が
羨ましい限り。

それはともかく、

野村スコープ宜しく、

縦横3×3のグリッドの中に、

卒が十字に、戦車が真ん中に、
各々配置された図
描かれておりまして、

目からウロコが落ちました。

2、『李衛公問対』の説く「伯」隊形

さて、この陣法、

サイト制作者は、寡聞にして、

史書による
実例めいたものは
確認出来ていないのですが、

どうも後代にも
応用が効いた模様。

『李衛公問対』上巻には、
(唐李問対とも言うそうな)

以下のような件があります。

同書については、
守屋洋先生・守屋淳先生による
書き下しを引用します。

当然ながら、

サイト制作者の作業よりは
遥かに正確で綺麗なことで
こちらの方で。

荀呉、車法を用いしのみ。
車を舍(す)つと雖も
法その中に在り。

一は左角となし、一は右角となし、
一は前拒となし、
分けて三隊となす。
これ一乗の法なり。
千万乗も皆然り。

荀呉:前6世紀前半の晋の武将。
狄討伐の際、戦車を放棄して
歩兵隊を編制して戦った。
角:かど、すみ

荀吳用車法爾、
雖舍車而法在其中焉。
一為左角、一為右角、一為前拒、
分為三隊、此一乘法也、千萬乘皆然。

部隊の前後左右
菱型に見立てて、
前と左右で3隊を編成する、

という訳です。

また、同書上巻の
別の件では、

真偽はともかく
黄帝が例の十字の陣法を始めた、
と説いていまして、

例えば、四隅を「閑地となす」、
―開けておく、

加えて、

「その中を虚しくし、
大将これに居る
―エラい人が真ん中に陣取る、

と、しています。

この方法を採れば、

「大将」にとっては、

四方に睨みが効いて
乱戦の際にも
統制し易いのだそうで、

どの部隊編成の規模にも
当てはまりそうな
陣法の原則めいたもの
なのかもしれません。

で、あれば、

後ろの隊の扱い
どうなるのか、

という疑問が
生じそうなものですが、

先述の薛永蔚先生
『春秋時期的歩兵』によれば、

後ろの一隊が、
後続部隊の「前拒」になるそうな。

つまり、25名×3隊の
凸型の縦隊が
延々と続く訳です。

それ以上の内容は、

細かい解釈や
史料ごとの相違点について
典拠が込み入り、

そもそも、サイト制作者が
分かっていない部分が多いことで、

現段階では
これ位に止めておきます。

要は、ここでは、

『逸周書』にある
「伯」のモデルは、

唐代の軍事研究においても
相当に意識されており、

覚えておいて
損はなさそうである、

といったことが
言えそうです。

【雑談】李靖の解釈する「三国志」の兵制?!

ここで少し脱線します。

さて、この『李衛公問対』、

実は、戦史研究をやる過程で
三国志関係についても
言及していまして、

その件の一部を紹介します。

以下は、同書「上巻」からの引用。

臣案ずるに
曹公の新書に云(いわ)く、

攻車七十五人、
前拒一隊、左右角二隊、
守車一隊、炊子十人、守裝五人、
廄養五人、樵汲五人、
共に二十五人。
攻守二乗、およそ百人。
兵を興すこと十万なれば、
車千乗、軽重二千を用う、と。

此大率(おおむね)
荀呉の旧法なり。
(維基文庫版は「孫、呉之」!)

廄養:廄は馬小屋、養は雑役夫。
馬の飼育係か。
樵汲:薪を拾い水を汲む人。

臣案曹公『新書』云

『攻車七十五人、
前拒一隊、左右角二隊、守車一隊、
炊子十人、守裝五人、廄養五人、
樵汲五人、共二十五人。
攻守二乘、凡百人。
興兵十萬、用車千乘、輕重二千。』

此大率孫、吳之舊法也。

部隊編成の大意を取ると。
以下のようになります。

前衛25名、両側25名の
3隊で計75名。

守備隊の車両部隊
(荷車か)は、
炊事係10名、
守備兵5名、
馬の世話係が5名、
燃料・水の担当が5名の
計25名。

攻車75名、守車25名で、
2車(乗)・計100名。

ここで、少々脱線しますと、

史料中の曹公は、
泣く子も黙る曹操のこと。

因みに、同書に曰く、

漢魏之間軍制」を
調べると、

以上の枠組みを流用して、

五車を隊となし、僕射一人、
十車を師となし、率長一人、
おおよそ車千乗、將吏二人。

―と、来るようで、

一応、計算しますと、

75(1車)×5=
375名で1隊、

75(1車)×10=
750名で1師。

補助の部隊が付けば、
各々500名、1000名、
という規模になりますか。

で、これ、李靖に言わせれば、
後漢・三国時代の
兵制という次第。

さらに、唐代の戦争も、
戦車はともかく
概ねこの延長なのだそうな。

同時代の史料や
『通典』の歩戦令等と
内容を照合されると
面白いかもしれません。

興味のある方は、
御一読を。

3、編成単位と指揮官に必要な資質
3-1、改めて、
卒の隊長と兵士の関係

そろそろ、話を
『逸周書』やその時代に
戻します。

さて、ここでは、

『逸周書』における
軍隊の全体的な編成単位と、

各々の編成単位の指揮官に
必要とされる資質について
綴ります。

その過程で、

前回、誤読した箇所の
添削(公開処刑)も行います。

早速ですが、
少々長くなりますが、
以下が該当箇所となります。

話が込み入る前に、
これを先に出すべきであったと
後悔しています。

『逸周書』「武順」より。

左右の手、各(おのおの)五を握り、
左右の足、各(おのおの)五を履き、
四枝といい、元首を末という。

五五二十五を元卒といい、
一卒は前に居り開といい、
一卒は後に居り敦といい、
左右に一卒を閭といい、
四卒は衛を成し伯といい、
三伯に一長を佐といい、
三佐に一長を右といい、
三右に一長を正といい、
三正に一長を卿といい、
三卿に一長を辟という。

辟は必ず明らかにして、
卿は必ず仁(いつくし)み、
正は必ず智(さと)く、
右は必ず肅(おごそ)かにして、
佐は必ず和(やわ)らぎ、
伯は必ず勤め、
卒は必ず力(つと)む。

辟は明からならざれば
以て官を
慮(おもんぱか)ることなく、
卿は仁まざれば
以て眾(衆)を集めることなく、
伯は勤めざれば
以て令を行われることなく、
卒は力めざれば
以て訓(おし)えを
承けることなし。
均しく卒は力み、
貌は比(たす)けることなし。
比は則(すなわ)ち
順(したが)わず。
均しく伯は勤め、
勞(労)して
攜(携:はな)ることなし。
攜は則ち和らがず。
均しく佐は和らぎ、
敬いて留むることなし。
留は則ち成ることなし。
均しく右は肅かにして、
恭しくして羞じることなし。
羞は則ち
興(よろこ)ばざることなり。
辟は必ず文にして、
聖たれば
度(のっと)るが如し。

四枝:両手・両足
元:最初の
衛:防御、ここでは陣形か
辟:君主、領地を有する者
明:物事に通じている、
はっきりとしている
仁:他人を思いやる
肅:厳格である、
和:仲の良い、睦まじい
勤:力を尽くす、助ける
力:尽力する、全力で、勢い、
慮:深く考える、心配する
眾:軍勢
訓:規則・規範、戒め
貌:挙動・ふるまい
比:助ける、互助する
順:服従する
留:拘泥する
成:成功する
恭:従順である
羞:恥じる
興:好きになる、楽しむ
文:温和で上品である
聖:聡明である、尊崇すべき
度:手本とする

左右手各握五、
左右足各履五、曰四枝、
元首曰末。
五五二十五曰元卒、
一卒居前曰開、一卒居後曰敦、
左右一卒曰閭、四卒成衛曰伯。
三伯一長曰佐、三佐一長曰右、
三右一長曰正、三正一長曰卿、
三卿一長曰辟。
辟必明、卿必仁、正必智、
右必肅、佐必和、伯必勤、
卒必力。
辟不明無以慮官、卿不仁無以集眾、
伯不勤無以行令、卒不力無以承訓。
均卒力、貌而無比、比則不順。
均伯勤、勞而無攜、攜則不和。
均佐和、敬而無留、留則無成。
均右肅、恭而無羞、羞則不興。
辟必文、聖如度。

例によって、
書き下し文は怪しいですが、

大意は御分かり頂けるものと
信じたいところです。

内容の要点にすると、
以下のようになります。

『逸周書』(維基文庫)、戸川芳郎監修『全訳 漢辞海』第4版より作成。

さて、ここらで、
前回の誤読の添削
行いますと、
以下にようになります。

伯や卒といった編制単位
辟や卿といった
身分めいたものが
混在して記されていることが
分かるかと思います。

恥ずかしながら、

サイト制作者は
ここで躓きました。

この辺りは、史料によっては
親切なものもありまして、

編成単位と隊長の名称が
異なったり、

あるいは、伍長、什長、
という具合に、
尻に「長」が付いたりします。

ですが、文脈からして、
「辟は必ず明らかにして、」と、
(「明」は「明にして」等でも
良いのかもしれませんが)

各単位の長の資質に
言及している訳でして、

「卒は必ず力む」、あるいは、

「卒は力めざれば
以て訓(おし)えを
承けることなし。」

このふたつの件は、

部隊長が真面目に
仕事をしなければ
部下の兵隊がサボる、

―という話なのでしょう。

3-2、上位の編成単位

さて、各編制単位についてですが、

上位の単位、特に、
辟や卿といったレベルになると、

兵数が実務に対して
どれ程の意味を持つのかは
分かりません。

また、「辟は必ず文にして、
聖たれば度るが如し。」と、

巨〇軍は紳士たれ、宜しき
君主の理想像からは、

戦争との関係が
どうも見えて来ません。

また、卿に必要な資質である
「仁」は、

後代に流行る儒教の
最大の徳目ではあるものの、

高木智見先生によれば、

教祖様の孔子の生きた
春秋時代の「仁」とは、

当時の戦時道徳
相当するものだそうな。

春秋時代の戦争も、

上級指揮官が
陣頭指揮や
戦車同士のサシの勝負で
血みどろになるのがザラの、

武侠小説さながらの世間です。

とはいえ、その一番の効能たるや、

「卿は仁まざれば
以て眾(衆)を集めることなく、」

と、戦争を始める前の
人集めの能力という訳で、

これは戦争というよりは、
政治の領域かと思います。

そこへいくと、
組織の下から見たほうが
どうも戦争の実務に近そうなもので、

少なくとも、100名までは、

今まで記した通り
具体的な話があります。

3-3、下位の編成単位

そうした中で、
卒と伯の資質の違い
についてですが、

伯は「勞して攜ることなし」
一生懸命やっていれば
部下が離反することはない、と、

卒同様、目先の仕事で
汗を掻くことには
変わりないのですが、

一方で、

「力」
目先のことを必死に行い
兵士の歓心を買うのに対し、

「勤」は、

同じ尽力するにしても、

他人を助ける、あるいは、
ねぎらう、といった意味も
あります。

この辺りは、

部隊の規模や
配置等によって生じる
差異なのかも
しれません。

さらに、伯の上の「佐」、
300名の部隊ですが、

必要な資質は「和」でして、

さらに曰く、

「敬ひて留むることなく、
留むは則ち成ることなし。」

部下は上官を尊敬して
成長する、と、

協調性、あるいは、
人当たりの良さに加えて、
部下の育成が要求される、

という訳です。

また、このレベルの
人数になると、

『逸周書』「大武」に
「佐車旗を挙げ」とありまして、

額面通りの意味であれば、
軍旗を扱う裁量が生じる模様。

また、サイト制作者が、

この辺りの編成単位までは
指揮官が末端の兵卒にも
睨みが効きそうだと思うのは、

佐の上の編成単位の「右」。

右に必要とされる資質は「肅」。
厳格であることです。

さらに曰く、

恭しくして羞じることなし。
羞は則ち興ばざることなり。

指揮官が厳格であれば、
部下は従順でも卑屈にはならず
意欲的に動く、

と、いったところかと
思います。

加えて、御参考までに、

兵士の人数に対するイメージ
少しばかりしの足しとして、

500名までの範囲で
『周礼』の内容と
照合しますと、

以下のようになります。

『周礼』(維基文庫)、『逸周書』(維基文庫)、戸川芳郎監修『全訳 漢辞海』第4版より作成。

鼙(へい):軍用の小さい太鼓
鐃(どう):小さい鐘
鐸(たく):大きな青銅製の鈴
莖(けい):刀身から突き出た
柄に埋める部分。なかご。
鋝(れつ):重さの単位、諸説あり。

以降、持ち歌、ではなかった、
史料を増やして
確度を高めていきたいと
考えていますが、

身分や指揮兵数に対する
大体の目安として、

剣の茎(なかご)
の倍数相当の長さ、
楽器、指揮官の資質、

といった要素が
あるかと思います。

因みに、太鼓は進撃、
鐘は退却や停止の合図が
相場で、

『周礼』の冬の大閲では
鐃を鳴らして
前進を止めていますが、

鐸は同じ金属製の鳴り物でも、
前進に使われていまして、

詳細については、

恐縮ですが、
調べる時間を頂ければと
思います。

おわりに

誤読の訂正もあり、
想定外に長くなり恐縮です。

最後に、以下に、
今回の記事の要点を纏めます。

1、『逸周書』における
100名の編成単位を
「伯」と称する。

その内訳は、前後左右に
各々卒(25名)を配置する
というものである。

前衛を「開」、両側を「閭」、
後衛を「敦」と称する。

2、1、のモデルは、
少なくとも、
後代の軍事研究の対象となった。

3、各々の編成単位には、
その指揮官に必要な資質がある。

下位の単位程、
兵卒の目線での人心掌握が
必要になる傾向がある。

【主要参考文献】
『逸周書』(維基文庫)
『周礼』(維基文庫)
薛永蔚『春秋時期的歩兵』
守屋洋・守屋淳『全訳 武経七書』2
戸川芳郎監修
『全訳 漢辞海』第4版
高木智見『孔子』

カテゴリー: 軍制 パーマリンク

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