『逸周書』から観る小規模戦闘 その1

はじめに

今回は、『逸周書』
記されている
小規模戦闘について綴ります。

人数については、
1名から25名
想定しており、

その他、白兵戦の原則
兵士に必要な資質等について
言及する予定です。

で、今回は、その1回目。

ただ、史料を読むにあたって、

サイト制作者の浅学にして、

この史料の文言だけでは
意味するところを
理解し辛い部分もありまして、

そうした部分については
他の史料も参考にした次第です。

それでは、
本論に入ることとします。

1、兵士に必要な資質

【注意!】この箇所は、サイト制作者の誤読です。

『逸周書』「武順」には、

軍隊の階級
その地位に必要とされる資質、
隊列の組み方等が
記されていまして、

その意味では、

小規模戦闘についての
核となる部分と言える
かもしれません。

さて、「武順」によれば、

軍隊の編成単位のひとつである
「卒」(25名)
必要とされる資質は、

ズバリ、「力」。

該当する箇所には、
「卒必力」、と、あります。

また、字引によれば、
「力」は、筋肉の働きを
意味します。

その他、勢いや作用、
下僕、といった意味が
あります。

要は、ここでは、

戦争を含めた
末端の肉体労働を
遂行するための能力かと
思います。

さらに、

件の「武順」において、
以下のような文言があります。

卒不力無以承訓。
均卒力、貌而無比、比則不順。

卒、力(つと)めざれば
以て訓を承けること無し。

均しく卒力めば、
貌比(たす)けること無し。
比は則ち順(したが)わざるなり。

貌:挙動・ふるまい
比:助ける
順:服従する

サイト制作者としては、

「力」には、

筋力や武芸の技量の他にも
真面目さが含まれる、

心・身・技の三位一体の意味合いが
感じられます。

一方で、

部隊の中に
不真面目な兵士
少なからずいると、

互いに傷を舐め合い、

程度の低い練度で
慣れ合うことで

上官の命令に耳を
貸さなくなるという、

組織が崩壊する際の法則
見え隠れすると
言いますか。

その他、「大武」にも、
「武を厲すに勇を以てす」
と、ありまして、

『逸周書』の説く
兵士に必要な「力」とは、
心技一体のものなのでしょう。

【追記】
正直なところ、
この部分は削除したいのですが、

素人の読み方の
悪い見本として、

何がしかの御役に立てばと思い、
残しておきます。

結論から言えば、

「力」は、ここでは、
尽力する、一生懸命になる、
といった意味です。

また、これは、恐らく、
兵士個人ではなく
25名の部隊長に必要とされる
資質です。

個人的には、
原文自体も紛らわしいと
思いますが、

それ以前に、

字面よりも文脈を重視して
読むべき文章だったと
後悔しています。

次回にて、
この辺りの話も原文付きで書く予定です。

【追記・了】

2、白兵戦の個人技の原則

『逸周書』の「武稱」に
以下のような件があります。

長勝短、輕勝重、直勝曲、
眾勝寡、強勝弱、飽勝飢、
肅勝怒、先勝後、疾勝遲、武之勝也。

文法が単純なことで、

書き下しは省略しますが、

大意として、
戦争の原則、程度のことは
分かるかと思います。

ここで問題なのは、

例えば、戦略・戦術・白兵戦、
といった、

戦いの規模に応じて
必要とされる箇所は何か、

ということだと思います。

例えば、「飽勝飢、」は
兵站の話ですし、

対して、「肅勝怒、」は、

どの規模の戦いにも
当てはまりそうなものです。

そして、ここでは白兵戦、

それも個人戦のレベルの話が
それに当たります。

因みに、

『逸周書』より
少し下った時代の価値観であろう
『司馬法』にも、

似たようなことについて
言及している件があります。

同じ春秋時代以前の史料として
参考になろうかと思います。

さて、同書の「天子之義篇」に、
以下のような文言があります。

兵雑(まじ)えざれば、
則ち利ならず。
長兵を以て衛(まも)り、
短兵を以て守る。
太(はなは)だ長なれば
則ち犯し難く、
太だ短なれば則ち及ばず。
太だ軽なれば則ち鋭し。
鋭は則ち乱れ易し。
太だ重なれば則ち鈍なり。
太だ鈍なれば則ち済(な)らず。

兵不雑、則不利。
長兵以衛、短兵以守。
太長則難犯、太短則不及。
太軽則鋭。鋭則易乱。
太重則鈍。
太鈍則不済。

犯:攻める
鋭:素早い
乱:秩序がない、秩序を崩す
済:成功する、仕上げる
ここでは敵に攻撃を当てることか。

武器が長過ぎては
こちらから打ち掛かるのは
難しく、

逆に、短ければ届きません。

軽ければ、
素早く斬るなり突くなり
出来るものの、

手数が多くなる分、

空振り等の
無駄な動きも多くなり、

攻防の秩序が乱れます。

また、重ければ動きが鈍くなり、

攻撃が当たらなくなる、
という次第。

因みに、
『周礼』「冬官考工記」にも、

矛について、
以下のような件があります。

凡そ兵は
その身に三を過ぐるなく、
その身に三を過ぎれば、
用に能うなきなり。
のみなくして、
また、以て人を害す。

兵無過三其身、
過三其身、弗能用也。
而無已、又以害人。

兵:武器
三:三倍
而已:「のみ」と訓読。

何だか、
無駄に長い引用ですが、

要は、武器の長さは、

身長の3倍以下にしないと
用をなさないどころか
害になりますよ、

―という御話です。

篠田耕一先生によれば、
しない過ぎるのだそうな。

当時、武器は木製の柄で、

これが鉄だと重過ぎて
振るに振れないという
事情があります。

さて、以上のような話は、

先述の『逸周書』「武稱」
「長勝短、輕勝重、」、
あるいは「疾勝遲」と、

恐らくは、
対応関係にあることと思います。

つまりは、
以下のような御話です。

まず、『司馬法』では、

長兵器にも短兵器にも
一長一短があり、

そのうえ、
機能が極端なものは
使い勝手が悪いことで、

集団を編制して
武器を組み合わせて
運用するのが望ましい、

と、説きまして、
(要は、「伍」か。)

『周礼』も、
武器の長さは
身長の3倍以下にせよ、
と、します。

対して、『逸周書』が、

敢えて、「長勝短、輕勝重、」
特に、「輕勝重」と説くのは、

武器の効能は、
個人技のレベルでは、

(会敵距離が或る程度あれば、)
リーチが長い方が
有利であることに加え、

威力よりも機動性を取る方が
戦場で生き残り易い、

という話かと想像します。

一応図解しますが、
これを描き始めた後で、
必要性を疑問視した次第。

『逸周書』(維基文庫)、伯仲編著『図説 中国の伝統武器』より作成。

最後の「直勝曲」については、

残念ながら、

他の文献からは、
サイト制作者の浅学にして
思い当たる根拠はありません。

ただ、日本の斬り合いや
剣道の話を
摘まみ喰いする分には、

一点集中で
面的に防ぎにくく
武器も損傷しにくいことで、

攻撃の方法としては
実戦的である、

―という話か、

あるいは、
弓を射る際、

直射か
それに近い角度で射る方が
曲射よりも威力がある、

という話かと
想像します。

【追記】

どうも、これ、
軍隊の士気、あるいは、
その根源となる
大義名分や道理、

といった話の模様。

少なくとも、
野球の話でないこと
だけは確かです。

さて、『春秋左氏伝』によれば、

僖公二十八(632)年の
城濮の戦いの折の
晋の上軍の佐(副官)・
狐偃(えん)の言葉の中に、
その文言がありました。

―そして、座右の字引き
『漢辞海』第4版にも、
「直」の使用例として。

結構有名な言葉なのか、と、
脱力感を感じます。

早速ですが、以下。

師直為壮、曲為老

師直(なお)きを
壮(さか)んとなし、
曲を老たるとなす

(字引きに忠実に
やりましたが、
送り仮名を省いても
通じる気もします。)

師:軍隊
直:公正な様、道理がある
壮:勇ましい様、盛大な様
曲:邪悪、誤り、
道理にもとる
老:疲れ果てた様

軍隊は、
大義名分が
しっかりしてなければ
士気や戦力が保てない、

といった意味かと思います。

で、その経緯は以下。

小倉芳彦先生
『春秋左氏伝 上』
当該箇所の要約です。

楚が晋の勢力圏の宋を
長期間包囲し、

対する晋も、
楚に味方した曹を
攻め下します。

因みに、宋・曹の両国邑は
南北を隔てること80キロと
目と鼻の先。

その後、
晋の深謀遠慮な交渉で
楚が包囲を解いたのですが、

楚の遠征軍のタカ派の某さんが
宋の解放の条件を
上乗せして吹っ掛け、

これを表向きは飲んだ晋が
兵こそ退いたものの
裏工作で反撃したことで、

楚軍が晋軍に向かって
進軍を始めました。

先の狐偃の言葉は、
この時のものです。

さらに、

宋の解放の条件を呑んだ楚王に
道理がある、則ち「直」で、

ここでこちら(晋)が仕掛ければ
自らが「曲」になる。

そこで、
それに報いて3日の行程分を
退却して報いよ、と、言い、

果たして、晋軍は
この通りに動きます。

要は、恩義を清算せよ、
という訳です。

後、戦争の際、
何日か分の行程を退却する、
というのは、

当時の作法として、
よく見られる行為です。

これをやって
意地になった
交渉相手の顔を立てて
条件を呑ませたりします。

それでも、
後世に名前が残るレベルの
エラい戦闘になったのは、

出先の指揮官の暴走の模様。

こういうのも
戦争のリアリズムの
ひとつなのでしょう。

一方で、当時の事情として、

物事が
周の礼の適度な履行で
動く時代というのが
前提なのでしょうが、

諸国の国君やその血族が
内訌で他国に亡命することが
頻発するという
ドロドロの国内事情と、

それと不可分の関係にある
複雑な外交関係の
腐臭を伴う化学変化の結果、

晋楚の基本的な対立軸こそあれ
小国のレベルでは
敵味方が簡単に入れ替わり、

そして、
それに起因する制限戦争も
頻繁に行われたことで、

そうした抗争の経緯
=道理に対して
誠実に向き合うことが、

結果として、
長い目で見て、

内外の人心掌握という
実利を生むという世相を
垣間見ます。

もっとも、その真逆を行く
数多のイカレた逸話も
乱世を扱った書き物の
面白さですが。

晋の文公を何度も自重させた
狐偃なんか、
そういう類の
人物ではなかろうかと。

1乗75名の謎にハマって
泥沼状態になり
更新がさっぱり進まない
某ブログのアホとは
エラい違いなこと!

以上、エラそうなことを
書きましたが、

和訳をもってしても、
以上の経緯を
サイト制作者の
ダメな脳内で整理するのが
結構大変でした。

【追記・了】

3、25名の部隊編成

以上のような
資質と個人技の原則を
有する兵士ですが、

ここでは、
それらの兵士の
小規模の編制単位について触れます。

これについて、

先述の『逸周書』「武順」には、
以下のような件があります。

左右の手、各(みな)五を握り、
左右の足、各五を履(ふ)む、
四枝と曰ひ、元首を末と曰ふ。
五五二十五を元卒と曰ふ、

左右手各握五、左右足各履五、
曰四枝、元首曰末。
五五二十五曰元卒、

履:「履く」でも良いかと。
四枝:両腕・両足。=四肢。
元:はじめの、第一の

文字通り大意を取れば、
以下のようになります。

まず、人間が5人いれば、
各々、両腕・両足が
左右5本づつある。

5名を人体に例えれば、

1名が頭で
これを「末」と言い、

他の4名は
両腕・両足となる。

この5名編制の5隊の25名を
「卒」と言う。

以上のような
サイト制作者の解釈から、

恐らく、人数の話ではあっても
隊列の話ではありません。

ですが、
同じ『逸周書』の「小明武」には、
以下のような文言があります。

戎をその野に遷(うつ)すに
王法を行ふに敦(つと)め、
濟ますに金鼓を用ひ、
降(くだ)すに列陳を以てす

戎其野、敦行王法、
濟用金鼓、降以列陳、

戎:軍隊
遷:移動する
敦:励む
濟:仕上げる
降:破る

ここで注目すべきは
「降以列陳(陣)」。

隊列による陣立てが
野戦の基本、
という訳です。

五五が掛け算の話と仮定して
「列」「陣」と来ると、

図解すれば、
以下のようになるのが
自然な解釈かと思います。

不気味なコピー・ペーストとなり
恐縮です。

『逸周書』(維基文庫)より作成。

もっとも、

サイト制作者の脳裏に
薛永蔚先生の伍のモデルの
バイアスがあるのも
否定出来ませんが。

さらに、ここで見え隠れする
5名の編制単位ですが、

「武順」の箇所以外にも、
先述の「大武」に
「射師伍を厲す」とあります。

これが意味するところは、

「伍」そのものか、

そうでなくとも、
軍の最末端は
5名の編成で動いている
解釈します。

因みに、
『周礼』「夏官司馬」には
「射師」という官職は存在せず、

それらしいものとして、
「司弓矢」という部署があり、

戦時、平時を問わず
弓矢の管理・教育を行います。

最高位の下大夫2名以下、
中士8名、その他、
下士より下の100名を擁する
部署です。

「師」は、責任者が士クラスで、
下級役人が数十名、
という部署が多いように
見受けます。

「射師」のイメージとして、
御参考まで。

また、「小明武」にも、
以下のような文言があります。

子女を聚(あつ)めることなく、
群を振ふこと雷のごとく、
城下に造(いた)り、
鼓行き呼參(まじ)わり、
以て什伍を正し、

無聚子女、群振若雷、
造于城下、鼓行參呼、以正什伍、

聚:徴集する
群:民衆
振:指揮する
呼:ここでは呼び声か
雷:響き渡る様、猛烈な様
造:到着する
參:交わる
正:ここでは整列させる、か
什伍:5戸、10戸ごとに編成する
民政上の隣保・互助組織

大意は以下。

物々しく城下に人を集めて、
既存の民政組織に準じて
整列させる、という話です。

以前の記事にも書きましたが、

サイト制作者が
この文言で思い出すのが、

『周礼』「夏官司馬」の
四季ごとに行われる
軍事演習の件です。

具体的には、

「司馬旗を以て民を致し」と、

下級軍人が旗を振って
民衆に呼集を掛けて
指定した場所に集め、

例えば、夏の場合は夜戦等、

季節に応じた
軍事演習を行う訳です。

また、「民衆」とは言うものの、

一国の首都の城郭に居住する
国人には、

1戸に1名、
それも60歳までの
軍役があります。

近代軍で言えば、

組織としては
予備役か在郷軍人に近い
感覚だと思いますが、

戦争が頻繁に行われることで、

実態は、現役同然の様相を
呈しています。

【追記】
すみません。
これは例えが悪いです。

と、言いますのは、

そもそも、

士以上の身分の
兵役自体が特権という
時代につき、

国民皆兵の社会での
徴兵を前提とした例えには
ムリがありますね。

書いたこと自体、
後悔しています。

【了】

つまり、確証はありませんが、

先述の「大武」の
「射師伍を厲す」の「伍」は、

仮に、『周礼』と同様の背景を
持つのであれば、

既存の民政組織と連動した
5名編制の軍事組織という話かと
思います。

おわりに

そろそろ、
この辺りで一区切りします。

次回はこの続きで、
人数を100名まで
増やす予定です。

最後に、例によって、
以下に結論を整理します。

1、兵士に必要な資質は「力」で、
心・身・技の三位一体の武芸を意味する。

2、武器の扱いとしては、
長い物、軽くても扱い易い物を勧める。

3、最末端の編成単位は5名で、
隊長を「末」と称する。

4、5名×5隊・計25名の編成単位を
「卒」とする。

この25名の隊は、
史料の文言より縦横各5名の方陣と
推測される。

【主要参考文献】(敬称略)
『逸周書』(維基文庫)
『周礼』(同上)
守屋洋・守屋淳訳・解読
『全訳 武経七書』2
戸川芳郎監修
『全訳 漢辞海』第4版
伯仲編著『図説 中国の伝統武器』僖

カテゴリー: 兵器・防具, 軍制 パーマリンク

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