考証用豆知識(20年5月19日更新)

調べ事を進めるうえでの
副産物とでも言うべきものですが、
随時、書き足していく予定です。

創作物の考証等に御活用頂ければ幸いです。

【古代中国の度量衡】

戸川芳郎監修『全訳 漢辞海』第4版、p1796の表より作成。

【時代ごとの部隊の編成単位】

稲畑耕一郎監修『図説中国文明史』4、『通典』「兵一・立軍」、解放軍出版社『中国軍事史』3、貝塚茂樹・伊藤道治『古代中国』、浅野裕一『孫子』、守屋洋・守屋淳訳・解説『全訳 武経済七書』2、篠田耕一『三国志軍事ガイド』等より作成。

なお、肝心の曹魏の部曲の編成単位は不明です。

便宜上、表のように記しましたが、

歩戦令の原文だけでは、
1000名以下かそれ以上かも見当が付きません。

一説によれば、
前漢や後漢の制度が横滑りしたようですが。

また、『通典』の編成単位は、
石井仁先生によれば、古代中国一般、
篠田耕一先生によれば、三国時代の可能性がある、
とのこと。

さらに、これ以外にも、

春秋時代の段階ですら
縦5名×横5名の
「両」という編制単位がありまして、

この指揮官は、両司馬。

縦横双方の3人目―
つまり、隊の中心に陣取ります。

これは、戦車を中心にした
100名の部隊を前提にした単位でして、

その内訳は、両が3隊の戦闘員75名と、
今日で言うところの輜重兵25名で
構成されています。

その他、一見、時代が下るごとに
細かい人数の編成単位が
整備されていく流れに見受けますが、

制度で明文化されていないレベルの
現場での遣り繰りは、

もう少し臨機応変に
やっていたのかもしれません。

【郷の名前・一例】

後漢・三国時代の長沙郡臨湘県(侯国)の事例

都郷・東郷・西郷・南郷・北郷・中郷・楽郷・
桑郷・模郷・平郷・広成郷、小武陵郷、
等、計12郷で1県(侯国)を構成。

なお、広成郷は宣陽里等7里で1郷を構成。

備考:関尾先生によれば、

孫呉の建国後に
歩隲が臨湘候に封ぜられたことで、

それ以降は、
正確には「臨湘侯国」なんだそうですが、

統治機構自体は
後漢時代からそれ程変化はなかったそうな。

出典:関尾史郎『三国志の考古学』

【里の名前・一例】

後漢・三国時代における長沙郡臨湘県(侯国)の事例

宣陽里(南郷)・曼溲里(中郷)・広成里(広成郷)・
吉陽里・平陽里(小武陵郷)・新成里(?某郷:原文ママ)

出典:関尾史郎『三国志の考古学』

【古代中国における名前アレコレ】

(20年5月19日更新)

姓氏・諱(いみな)・字(あざな)、
その他、諡号(おくりな)、
廟号等のパーツの起源は
殷周まで遡る模様。

出典によれば、
後漢の光武帝の場合、

劉(姓氏)
秀(諱)
文叔(字)
光武皇帝(諡号)
世祖(廟号)

―と、区分。

また、避諱という観念が
あります。

これは、諱(実名)を
神聖なものとみなし、

口にする、あるいは文字で書く、
といったことを避けるものです。

そして、これが皇帝ともなると
まあ、エラいことで、

国中の書き物から
皇帝の諱の文字が消えます。

高島俊男先生曰く、
唐の李世民が皇帝になった時が
まさにそれ。

皇帝様の諱が難しい字なのは、
文字に縁のある識字率1割の
「万民」のためか。

字は冠礼(成人式)の時に
付ける名前で、

規則性で有名なものは、

長男から伯→仲→叔→季と
順に付けていく方法。

また、兄弟で同じ字や偏を
共有する、

諱と字が同じ意味を持つ、

といったパターンも
あります。

さらには、
宗族の同世代間で
共有する字を
「排行字」と言います。

因みに、
人名が規則性を持つのは
漢代以降。

さらに、後漢・三国時代でも、

トラブル回避のために
名前を変えるケースも
少なからずあり、

字も状況に応じて変えます。

また、礼教に縁のない人々には
字に教養じみたこだわりは
あまりないそうな。

例えば、曹操の宿将の中で、
字に「文」のある人々。

さらには、

劉備の義兄弟が字を変えたのも、
蜀漢建国後とのこと。

具体的には、

関羽・張飛、加えて趙雲の字で
羽→雲→飛→翼→雲→龍 ―と、

大空を飛翔するイメージで
綺麗にループしており、

識者の先生方によれば、

こんなのは、
偶然の一致では
説明が付かないそうな。

出典:石井仁・田中靖彦・中本圭亮
「漢六朝の人名に関する覚書」
湯浅邦弘『中国思想基本用語集』
高島俊男『三国志 きらめく群像』

【女性の名前・一例】

後漢・三国時代における長沙郡臨湘県の事例

名前:瞻(身分:戸人妻・年齢:21歳、備考:戸人・張厥29歳)
蔦(戸人妻・19歳、戸人・孫潘35歳)
汝(戸人妻・30歳、戸人・孫傳3?歳)
智?(戸人妻・38歳、戸人・李兒41歳)
小(戸人娘・7歳、戸人・李兒41歳)
草(妻・23歳、夫・黄客35歳)
妾(戸人妻・22歳、戸人・区文30歳)
妾(戸人妻・40歳、戸人・陳顔56歳)
陵(戸人小妻・36歳、戸人・陳顔56歳)
青(妻・51歳、夫・陳奇82歳)
定(妻・27歳、夫・陳崇38歳、子・陳生12歳)
姑(妻・48歳、夫・虞将61歳)

出典:関尾史郎『三国志の考古学』

【後漢・三国時代における荊州南部の蛮姓】

番(潘)、文、區、雷、栂(梅)、鄭、石、黄

備考:無論、当時の漢民族の感覚だと思います。

出典:関尾史郎『三国志の考古学』

【古代中国における鋼の作り方】

趙匡華『古代中国化学』・篠田耕一『武器と防具 中国編』・菅野照造監修『トコトンやさしい鉄の本』・柿沼陽平「戦国秦漢時代における塩鉄政策と国家的専制支配」等(順不同・敬称略)より作成。

【官制】

【後漢時代の社会規範】

(20年5月19日更新)

「州里」関係

同じ州の出身者に対して
政治的利害を超越してでも
便宜を図らねばならないという
社会観念。

なお、これとは別に、

州単位の郷里意識の
観念のひとつに、

州牧・州刺史の殺害に対する
故吏・州民の報復がある模様。

「虐殺州將、豈獨阜之憂責、
一州士大夫皆蒙其恥」
『三國志』魏書・楊阜伝

出典:津田資久「劉備出自考」