考証用豆知識

調べ事を進めるうえでの
副産物とでも言うべきものですが、
随時、書き足していく予定です。

創作物の考証等に御活用頂ければ幸いです。

 

【古代中国の度量衡】

戸川芳郎監修『全訳 漢辞海』第4版、p1796の表より作成。

 

 

【時代ごとの部隊の編成単位】

稲畑耕一郎監修『図説中国文明史』4、『通典』「兵一・立軍」、解放軍出版社『中国軍事史』3、貝塚茂樹・伊藤道治『古代中国』、浅野裕一『孫子』、守屋洋・守屋淳訳・解説『全訳 武経済七書』2、篠田耕一『三国志軍事ガイド』等より作成。

なお、肝心の曹魏の部曲の編成単位は不明です。

便宜上、表のように記しましたが、

歩戦令の原文だけでは、
1000名以下かそれ以上かも見当が付きません。

一説によれば、
前漢や後漢の制度が横滑りしたようですが。

 

また、『通典』の編成単位は、
石井仁先生によれば、古代中国一般、
篠田耕一先生によれば、三国時代の可能性がある、
とのこと。

 

さらに、これ以外にも、

春秋時代の段階ですら
縦5名×横5名の
「両」という編制単位がありまして、

この指揮官は、両司馬。

縦横双方の3人目―
つまり、隊の中心に陣取ります。

これは、戦車を中心にした
100名の部隊を前提にした単位でして、

その内訳は、両が3隊の戦闘員75名と、
今日で言うところの輜重兵25名で
構成されています。

 

その他、一見、時代が下るごとに
細かい人数の編成単位が
整備されていく流れに見受けますが、

制度で明文化されていないレベルの
現場での遣り繰りは、

もう少し臨機応変に
やっていたのかもしれません。

 

 

【郷の名前・一例】

 

後漢・三国時代の長沙郡臨湘県(侯国)の事例

都郷・東郷・西郷・南郷・北郷・中郷・楽郷・
桑郷・模郷・平郷・広成郷、小武陵郷、
等、計12郷で1県(侯国)を構成。

なお、広成郷は宣陽里等7里で1郷を構成。

備考:関尾先生によれば、

孫呉の建国後に
歩隲が臨湘候に封ぜられたことで、

それ以降は、
正確には「臨湘侯国」なんだそうですが、

統治機構自体は
後漢時代からそれ程変化はなかったそうな。

 

出典:関尾史郎『三国志の考古学』

 

 

【里の名前・一例】

 

後漢・三国時代における長沙郡臨湘県(侯国)の事例

宣陽里(南郷)・曼溲里(中郷)・広成里(広成郷)・
吉陽里・平陽里(小武陵郷)・新成里(?某郷:原文ママ)

 

出典:関尾史郎『三国志の考古学』

 

 

【女性の名前・一例】

 

後漢・三国時代における長沙郡臨湘県の事例

名前:瞻(身分:戸人妻・年齢:21歳、備考:戸人・張厥29歳)
蔦(戸人妻・19歳、戸人・孫潘35歳)
汝(戸人妻・30歳、戸人・孫傳3?歳)
智?(戸人妻・38歳、戸人・李兒41歳)
小(戸人娘・7歳、戸人・李兒41歳)
草(妻・23歳、夫・黄客35歳)
妾(戸人妻・22歳、戸人・区文30歳)
妾(戸人妻・40歳、戸人・陳顔56歳)
陵(戸人小妻・36歳、戸人・陳顔56歳)
青(妻・51歳、夫・陳奇82歳)
定(妻・27歳、夫・陳崇38歳、子・陳生12歳)
姑(妻・48歳、夫・虞将61歳)

 

出典:関尾史郎『三国志の考古学』

 

 

【後漢・三国時代における荊州南部の蛮姓】

 

番(潘)、文、區、雷、栂(梅)、鄭、石、黄

備考:無論、当時の漢民族の感覚だと思います。

 

出典:関尾史郎『三国志の考古学』