近況報告:『周礼』「考工記」廬人為盧器図解その他

はじめに

まずは、更新が滞ってしまい
大変申し訳ありません。

どういう訳か、
年末に記事を書いたと
勘違いしており、

正月は、例によって、
ゲームで溶かして
しまいました・・・。

さて、今回は、

前回に引き続いて
『周礼』「考工記」
廬人為盧器
矛に関する図解2枚と、

その他、
長めの「オマケ」をひとつ。

1、「考工記」の説く矛の形状

早速ですが、
矛の形状に関する図解
掲載します。

『周礼』(維基文庫)、『周礼注疏』(国学導航)、聞人軍『考工記訳注』、楊泓『中国古兵器論叢』、林巳奈夫『中国古代の生活史』、伯仲編著『図説 中国の伝統武器』、戸川芳郎監修『全訳 漢辞海』第4版、等(敬称略・順不同)より作成。

以前に掲載したものの
誤読部分を
描き直したものです。

原文をそのまま訳すと、

取っ手である「囲」
石突である「晋囲」
重複しています。

さらに、
囲の長さから
晋囲の長さを引くと、
30cmを切る短さ。

要するに、
石突の長さが
気になります。

とはいえ、
「考工記」の現代語訳
とでも言うべき
『考工記訳注』にも、

人所握持之処離
末端為全長的三分之一
以其周長的五分之四作為
末端銅鐏敵周長

周尺換算で、

全長に対して
末端から3分の1を
取っ手とし、

その5分の4を
銅鐏(石突き)とする、

―と、していまして、

サイト制作者の誤読では
なさそうな。

では、実例はどうか、
と言えば、

残念ながら、

随分時代が下って
戦国時代のもの
なるのですが、

管見の限り1例だけ
ありまして。

長沙の楚の王墓よりの
出土品で、
以前の記事でも
紹介したものですが、

図解の下段部分の下の矛。

これを見る限り、
20cmを切っています。

折れて欠損している部分が
無ければの話ですが。

因みに、この矛の元の写真は、

楊泓先生
『中国古兵器論叢』
あります。

約14分の1とあったので、

馬鹿正直に定規を当てて
14倍しましたので、
多少の誤差はあるかと
思います。

一方で、矛頭の長さは
戦国時代の他の出土品と
大体同じ位。

こういうのを見る限り、

車戦用のものは
矛頭が少し長そうな
事情を考慮するにせよ、

「考工記」の説く
矛の規格は、

どうも、時代が下っても
通用するものでは
なかった、

と、捉えた方が
良いのかもしれません。

もしくは、

敢えて
「考工記」の規格にある
「囲」の短さの意味を
考えるとすれば、

前回触れた、

『周礼注疏』に曰く、
「細きは則ち手に
執るの牢なり」

両手の間隔が短ければ
しっかり握れる、か。

もしくは、

実際に握る分には、
囲も晋囲も
一緒くたであったか。

2、「考工記」の説く矛の使い方

次いで、
矛の使い方について。

これも、
まずは図解を掲載します。

『周礼』(維基文庫)、鄭玄・賈公彦『周礼注疏』(国学導航)、聞人軍『考工記訳注』、楊泓『中国古兵器論叢』、周緯『中国兵器史稿』、伯仲編著『図説 中国の伝統武器』、戸川芳郎監修『全訳 漢辞海』第4版、等(敬称略・順不同)より作成。

1枚も使って描くような
内容ではないのですが、

もう少し詰めると
ゴチャゴチャして
今以上に見辛くなるので、

一旦はここで切りました。

これについて、
次回にもう1枚
描く予定です。

さて、この図解の要点は、

1、柄を振ったりして
しなわせないこと。

2、柄の断面が
円形であること。

以上の2点です。

で、ボウフラさんの
ザワザワは、
矛の柄がしなう様の
例えです。

この辺りの感覚は、
時代を問わないもの
なのでしょう。

3、目からウロコの『曹沫之陣』
3-1、原文と解説論文

以降は
オマケの部分の
でしたが、

サイト制作者の
悪癖が出て
結構長くなりました。

とはいえ、

この部分の方が、
読者の皆様にとっては、

サイト制作者の
誤読の後始末よりも
有用かもしれません。

それはともかく、

「考工記」の考証も含めて
何か面白い文献や史料は
ないかしらん、と、

佐藤信弥先生
『戦争の古代中国史』
参考文献を
少々当たる過程で、

同書に紹介されていた
『曹沫之陣』の原文や
そのニホン語の解説論文
ネット上で
今頃見付けまして。

双方共、
10年以上前に
公開されていますが、

サイト制作者のような
初耳の方への紹介を
思い立ちました。

以下、そのアドレスです。
1文字目に「h」を補われたく。

『曹沫之陣』原文
ttps://baike.baidu.com/item/%E6%9B%B9%E6%B2%AB%E4%B9%8B%E9%99%88/23597400

浅野裕一
上博楚簡『曹沫之陣』の兵学思想
(論文PDF)
ttps://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/61257/cks_038_160.pdf

大意を取るには
難しい内容だなあ、
漢文苦手だなあ、

と、思われる方は、

例えば、
戦闘場面の書き下し文の
解説だけ、

あるいは、
後半の解説文だけでも、

目を通されることを
御勧めします。

論文の著者である
浅野裕一先生ですが、

この分野の大家で、

サイト制作者も、

『孫子』『墨子』といった
文庫本の
邦訳や書き下し、解説等で、
大変御世話になりました。

もう少し言えば、
説明が体系的で
興味深かったことで、

調子に乗って
あることないこと
書くための
揮発性の極めて高い
燃料になりました。

で、今回の同論文も、

綺麗な書き下し文
詳細な解説はおろか、

原文の欠損部分の
内容の推測まで
付いているという
至り尽くせりの親切仕様。

斯く言うサイト制作者も、

これで、
書き下し文の練習を
させて貰っています。

3-2、
毀誉褒貶、曹沫の人物像

さて、曹沫という人は
春秋時代の魯の軍人ですが、

かなり悪く言えば、

『史記』刺客列伝にある、

敵国である斉の桓公に
懐刀を突き付けて
分の悪い講話条件を
白紙に戻させたという逸話で、

尻に火が付いた国が寄越す
狂暴な使節の走りとして
名前が残った人、

と、言いますか。

ですが、
この『曹沫之陣』は、

そういう任侠プレイの
実録物ではなく、

かなりマトモな
戦争マニュアルでして、

と、いいますか、

そもそも曹沫自身が
『左伝』の
(魯の)荘公の件にあるような
良識ある人物のようで、

その辺りのカラクリ
かくかくじかじか、と、

論文の後半部分で
しっかり説明されています。

で、『曹沫之陣』は、

ざっくり言えば、

侠客路線の『公羊伝』と
軍人路線の『左伝』の
バランスを取る
内容なんですと。
(いい加減な理解!)

3-3、
『左伝』の戦いの行間を綴る

以降は、
原文や解説について、

ここでは、
取り留めない感想を少々。

小規模戦闘の話です。

さて、同論文では、

『曹沫之陣』が
会戦に強く執着するのは、
春秋時代の
戦車中心の戦争では、
会戦以外に
勝敗を決する形式が
想定できないからである。
(186頁より)

と、あります。

制限戦争の時代の
『曹沫之陣』と、

時代が下って
総力戦を説く『孫子』とで、

対をなすのだそうで。

言い換えれば、

重点が置かれている分、

局地戦の説明には
説得力がある訳でして。

例えば、
布陣の際、

車間に伍を容れ、
伍間に兵を容れ、
常に有るを貴ぶ

という文言があります。

浅野先生の説から逸脱して
少々妄想を逞しくし、

「車間」の「間」が
横のみならず
縦も含むと取れば、

サイト制作者が
思い当たるのが、

『逸周書』に出て来る、
前後左右の十字に
25名・計100名を
配置し、

恐らくは、
真ん中に戦車が陣取る布陣。

また、別の話をすれば、

身分の高い者や
国君の血族を
積極的に前線に出せだの、

武器を修繕して
神に祈って
戦いに備えろだの、

『左伝』に
書かれていること
そのまんま。

そうすることの理由を
説明して
行間を補うとでも
言いますか。

その他、

いつ書かれたのかは
ともかく、

成程、
春秋時代の価値観を
色濃く反映している
のかなあ、と。

こういう具合に、
イロイロと
興味深い要素が
詰まっており、

今後、さらに精読して
何かの考証の折にでも
参考にさせて頂きたいと
思った次第。

3-4、
「正邪」入り乱れた
春秋時代の戦い

一方で、

浅野先生の御説で
気になった点
ありまして。

例えば、
鉄の戦いなんか

高級指揮官が
先陣を切って
最前線で
血反吐を吐いてまして、

こういう
士大夫のメンタリティを
体現したような戦いが、

大量動員時代に
入ったとされる
春秋末期になっても
行われています。

ところが、

こういうのと並行して、

伏兵や別動隊といった
ヒキョ臭い戦法も、

少なくとも、
前8世紀以降、

春秋時代全体を通じて
ちょくちょく
行われています。

例えば、
荘公の時代の鄭なんか。

さらに、
『周礼』「夏官司馬」にも、

中冬の大閲の際、
(最大レベルの軍事演習)

険野に人を主となし、
易野に車を主となし、

という文言があります。

険しい地形に歩兵を
なだらかな地形に戦車を
各々重点的に配置する、

―という訳です。

つまり、

当時の感覚では、
どうも
正攻法とは言えない戦法も、

昔から、
存在する基盤が
あったのでは
なかろうか、と。

古の戦いがどうたら
書いてる『司馬法』すら、

隠密行動の際には
兵士に木切れを
噛ませろ、と、

どこか歯切れが悪いのが
個人的にはオモシロくあり。

こういう
春秋時代の戦争の二面性
向き合うのも、

この時代の調べ事の
面白さのひとつかしらと
思っています。

【おわりに】

今回も、
結論めいたものはありません。
無駄に長くなった割に、
恐縮です。

その他、久しぶりに
集団戦に触れたことで、

興奮して
放言癖が出まして、

普段以上に余計なことを
書いてしまいました。

さて、図解は、予定では、

誤読が見つかる等の
ポカ等がなければ、
矛について、
後1枚描きたいと思います。

そのうえで、
「考工記」廬人為盧器の
書き下しに入る予定です。

そうやって予告して、

想定外のヘンなこと
やらかすのも
このブログのあるあるですが。

【主要参考文献】(敬称略・順不同)

『周礼』(維基文庫)
鄭玄・賈公彦『周礼注疏』(国学導航)
聞人軍『考工記訳注』
楊泓『中国古兵器論叢』
周緯『中国兵器史稿』
林巳奈夫『中国古代の生活史』
伯仲編著『図説 中国の伝統武器』
Baidu百科『曹沫之陣』
浅野裕一
上博楚簡『曹沫之陣』の兵学思想
左丘明著・小倉芳彦訳
『春秋左氏伝』(各巻)
戸川芳郎監修『全訳 漢辞海』第4版

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6 Responses to 近況報告:『周礼』「考工記」廬人為盧器図解その他

  1. SPOT のコメント:

    投稿 01
    はじめまして。
    古代中国の魏志倭人伝、日本書紀等において軍事用語を解読するために大変役に立っております。
    当方が到達した周礼五経基軸文法で解読いたしました、お役に立てば幸いです。投稿に際し、文字数に制限がありますので4回ほどの投稿になります。

    1、「考工記」の説く矛の形状
    【人所握持之処離末端為全長的三分之一以其周長的五分之四作為末端銅鐏敵周長】
    『周礼』「考工記」及び、古代中国の正史、日本書紀等は周礼五経を基軸に書かれています、具体的には漢字の字源を用いて文章構成をしています。

    現在、多くの人が【PC⇔Windows】を利用している際に、漢字の検索等にインストールされている、倉頡輸入法(そうけつゆにゅうほう)アプリがあります。
    このアプリは漢字を引用する際に漢字⇒声符、偏旁、漢字構成、字源から組み立てます、【周礼五経、易⇒假借、声符、偏旁、字根、説文解字、九章算術⇔公比積算文法】
    倉頡輸入法の逆文法を採用したアルゴリズム構成で組み立てられています。

    【人所握持之処離末端為全長的三分之一以其周長的五分之四作為末端銅鐏敵周長】⇒声符⇒【じん しょ しゅ しゅ ししょりばつたんいせんちょうしゃくさんぶんしいちいきしゅうちょうしゃくごぶんししさいばつたんきんしゅうこしゅうちょう】

    假借、声符⇒【人⇔刃】【刃所】【所⇒戶斤⇒斤⇒金】【所握⇔諸種】【握持⇔種種】【持⇒声符、偏旁⇒扌寺⇒扌⇒⇒シュ【鋳〔鑄〕】】⇒【鋳之】⇒【処離⇔処理】⇒【離⇔風水⇒五行⇒八卦⇒火、離(3)⇒离隹⇒隹⇒スイ⇒水】

    • aruaruchina のコメント:

      SPOT 様

       御返事が遅れて恐縮です。
       こちらこそ、宜しく御願い致します。
       
       御笑読及び貴重なコメントを感謝致します。

      1、まずは、文字の世界の広さの一端を垣間見た、
       というのが率直な感想です。

       私の場合、如何せん、

       素人が字引きを片手に字義だけ取るというやり方につき、
       漢字のバラし方や声符といった視点が抜けています。

       例えば、今やっている作業で言えば、

       『周礼注疏』や『春秋経伝集解』の注釈では、
      中には、日本語の音読みでも、
      何となくはニュアンスが分かるものも多少ありますが、

       こういうものが頻繁に出て来る辺り、

       当時の人々の感覚として、

       字源を辿ったり、
      文字の分解で或る程度のことが分かるもの、あるいは、

       文字に起こす前に、
      古語の発音でニュアンスが通じるものが
      少なからずあるんだろうなあ、と、

      どこか損をしている不安感が拭えません。

       一方で、私の座右の字引き『漢辞海』第4版でも
       『説文解字』の引用が頻繁に出て来ますし、

       それで目からウロコが落ちたり示唆を得ることが
      少なからずありまして、

       そういうものの上澄みの部分なんだろうなあ、と。

       例えば、今回御提示頂いたものの中で、特に、
      囲や銅の文字の解読には、成程と思いました。

      2、その他、話は変わりまして、兵士の数え方ですが、
       本文にあるのは『通典』「兵一」の引用かと思います。

       そう言えば、典拠は失念しましたが、
      『日本書紀』当時の軍隊は律令時代の中国式であった、
      というのを思い出しました。

       恥ずかしながら、編成単位の方は、
       調べれば調べる程、人数当たりの戦力の意味するところが
      分からなくなって来まして、

       それで、大元の個人戦から、と、主に、
      春秋以前の武器を調べ始めて今に至ります。

       ただ、拙い調べ事の中で朧気ながら見えて来るのは、

       例えば、曹操の『孫子略解』と、
      件の『通典』の李靖の軍隊の件を突き合わせると、
      双方共、輜重兵の割合が全体の2、3割程度であったり、

       『通典』の『司馬法』の引用や
      『尉繚子』にあるような50名の編成単位が
       その『通典』のその李靖の軍隊の件で顔を出したり、
       
       『左伝』宣公12年の邲の戦いの件での
      楚の十字隊形での布陣について、

      杜預は様変わりしたとは言わずに、
      現在(三国か西晋)は前軍は斥候を出して
      幟で兵種を示させると注釈を付けるという具合に、

      末端における人数当たりの感覚や
      戦争の基本めいたものは、

      春秋時代から唐代辺りまでは
      それ程変わっていないのではないか、と、

      思っています。

      ―あくまで、個人的な感覚に過ぎませんが。

       
      取り留めない感想で恐縮ですが、
      まずが御返事まで。

  2. SPOT のコメント:

    投稿 02
    <注釈、補足>
    当方は古代中国の武器に関しては無知なので、【考工記」の説く矛の形状⇒図解】の名称を参考に周礼五経基軸文法で再検証いたしました。
    【離】⇒【華甲=漢字分解=声符、偏旁、字根⇔駢字=熟語】⇒【离隹⇒离⇒㐫禸⇒禸⇒キョウ⇒銎】⇒説文解字⇒斧子上安柄的孔。
    【銎】⇒斤斧穿也。穿者、通也。詩釋文作斧空也三字。謂斤斧之孔、所以受柄者。豳風毛傳曰。方銎曰斨。隋銎曰斧。隋謂狹長。从金。聲。曲恭切。九部。
    【離⇒八卦⇒三(3)伏羲先天八卦における次序は三であり、方位は四正卦の一つで東に配される。】
    【銎⇒謂斤斧之孔】⇒孔径⇒三(3)×周長2.25cm、(円周)=6.75cm÷【周=3.16、3.14】=内径=約 2.15cm

    <解読>
    假借、声符⇒【端】【為】⇒【假借為⇒搞】⇒【端搞⇒たん‐こう〔‐カウ〕【鍛鋼】⇒鍛造用の鋼材。鋼塊を成形加工したもの。】【全⇒銑】

    假借、声符⇒【末⇒説文解字⇒木上曰末。從木。從丄。】⇒【末端⇒ばつたん⇔まっ‐たん【末端】】【為⇒説文解字⇒造作,為也。——《爾雅》】【全⇔セン⇔1銑、2穿】【長⇔ジョウ⇔1丈、2乗】【全長⇒225cm】+【的⇒白勺⇒勺⇒シャク⇒尺⇒22.5cm】=247.5cm。

    假借、声符⇒【的⇒白勺⇒勺⇒シャク⇒尺⇒22.5cm】⇒ 1 【的三分⇔尺三分⇒29.25cm】 2 【的⇒白勺⇒白⇒説文解字⇒空的】【分⇒八刀】⇒【刀之⇔刀子】

    假借、声符⇒【長⇒ジョウ⇒乗】【的⇒白勺⇒勺⇒勺⇒勹丶⇒勹⇒ホウ⇒法】⇒【乗法】
    【29.25cm×0.3=8.775cm⇔三分之一⇒白⇒空的】【一以⇒いち‐い〔‐ヰ〕【一位】】⇒【末⇒木の幹や枝の先。〕【一位】】

  3. SPOT のコメント:

    投稿 03
    【人所握持之処離末端為全長的三分之一以其周長的五分之四作為末端銅鐏敵周長】⇒声符

    假借、声符⇒【其】【周⇒「四周」「圓周」「周圍」】1【長⇒チョウ⇒長度⇒長さ】2【長⇒ジョウ⇒説文解字⇒剩余⇒現在率、3.14、古代中国率、3.16】3【長⇒ジョウ⇒声符⇒1乗、2丈】
    假借、声符⇒【一位、木】【周長⇒圓周】⇒【五分⇒説文解字⇒尺部:尺:人手卻十分動脈為寸口。十寸為尺。尺,所以指尺䂓榘事也。⇔五寸】
    假借、声符⇒【一位、木】【周長⇒圓周】⇒【四作⇒亻乍⇒乍⇒説文解字⇒亡⇒ブ⇒分⇒説文解字⇒尺部:尺:人手卻十分動脈為寸口。十寸為尺。尺,所以指尺䂓榘事也。⇔四寸】
    【五寸⇒2.25×5=11.25÷3.14、3.16=直径⇒柲、約3.60】【四寸⇒2.25×4=9.0÷3.14、3.16=直径⇒柲、約2.90】
    《冬官考工記》⇒金有六齊 青銅幾製造方法⇒【浅学菲才的】な日本の科学者、中国の歴史学者等は周礼五経を基にした漢字を理解しないことで誤訳で論文を発表しています。【金属製遺物の調査・研究に関する最近の動向】

    この論文で【銅】について論じています、【銅】という金属概念が殷、周の時代は存在していないので銅合金の比重(率)は各、漢文節に従って鋳造すると、発掘した鼎等とは一致しないと決めつけている愚かさ。
    当方が周礼五経を基軸に解読検証はすべて正しいことがわかりました。金有六齊の後の記述で銅合金に使う錫が枯渇したので配合比率を変更した都の記述。
    同様な事例で【日有食之】⇒【有⇒説文解字⇒偏旁、字根⇒月⇒声符⇒月】【月蝕=げつしょく】⇒誤訳を流布しています。 
    日本書紀⇒天智天皇記⇒軍、大将軍、前、中、後将軍の兵数(率)を理解していないことで過小兵数が通説です、【率】にいたっては無知に等しい。
    通説⇒【倭と百済の計47000人の兵力】、当方の解読⇒【百済の乱⇔名称⇔藤氏家傳、日本書紀⇒白村江、総兵力⇒203,700動員兵力】⇒軍事用語を解読。⇒2-4、戦闘単位アレコレ⇒当方参考。
    【戦国時代の部隊編成⇒司馬穰苴の軍編成図⇒軍(将軍・副将軍)⇒3200兵】⇔参照⇔当方の周礼五経、公比積算文法、解読⇒【魏志倭人伝で率を検証】
    【率=声符⇒スイ】⇒【率】⇒率の漢字用法は2パターン。1 【単なる兵⇔軍事用語⇔率】2【率=軍(将軍・副将軍)⇒3200兵】⇔【率=3200兵】
    魏志倭人伝は【率=3200兵】を基軸単位として公比積算して総兵数を記述しています、【戦の場合⇒自衛軍・敵軍と各兵数を積算算出】⇒【一段(層)~5段(層)目と別々に公比積算を行います】
    【公比積算】をする場合は假借、声符で【四則、乗法、除法、加法、減法】の注釈がなされています。

  4. SPOT のコメント:

    投稿 04
    日本書紀⇒天智天皇記⇒軍、大将軍、前、中、後将軍の兵数(率)【率=3200兵】なのか?
    【秋八月遣達率答㶱春初築城於長門國。遣達率憶禮福留達率四比福夫於筑紫國築大野及椽二城耽羅遣使來朝。】
    周礼五経、公比積算⇒【率】⇒計算式⇒假借、声符、字根、倒語⇒【答㶱=トウカ⇒答㶱⇒火本⇒答火⇔倒語⇔か‐とう クヮ‥【火頭】⇒職名。一〇人ごとに火頭一人】
    【火頭=10率】【㶱=10進数】⇒【城於=ジョウホウ⇒じょう‐ほう〔‐ハフ〕【乗法】】⇒【福⇒八=8】【留⇒四=4】=10×10×8×4=3,200兵(率)
    抜粋解読⇒卒:兵⇒率⇒3,200兵×4【福=復⇒2、夫=二人】⇒12800兵【率】×4=51200兵【率】

    現在の中国歴史学者、漢文学者、日本の学者は周礼五経を用いた漢字解読をしていないので表層の記述漢字のみ解読しているだけになります。
    【率=3200兵】の兵数根拠を周礼五経基軸文法【九章算術=公比積算】で検証できました。
    すべて、現代辞書を引用しているだけで、自己の憶測、考えは含まれていません。
    假借、声符⇒【作】【為⇒假借、声符⇒囲、围⇒太さを計るのに用いる語。】【末端】
    假借、声符⇒【端】【銅⇒金同】⇒【端金⇒鍛金】【金同⇒きんどう⇒金有六齊⇒四分其金而锡居一,谓之戈戟之齐;】⇒比重率。【銅鐏⇒キンソン】
    假借、声符⇒【銅⇒金同】【鐏⇒金尊⇒酋寸】【敵⇒啇攵⇒攵⇒ボク⇒柲⇒從木。必聲】【金酋⇒キンシュウ⇒きん‐しゅう〔‐シウ〕【錦×繍/錦×綉】】
    【鐏⇒金尊⇒酋寸⇔しゅうすん⇔周寸⇔2.25⇒八酉】⇒【周寸⇔八寸⇒18cm】【敵周長】⇒【敵⇒啇攵⇒冂古⇒冂⇒ケイ⇒径】⇒【周長⇒長(12)⇒円周⇒12寸⇒直径⇒3.820cm】
    假借、声符⇒【銅⇒金同】【鐏⇒金尊⇒酋寸】⇒【同酋⇒トウシュウ⇒とう‐しゅう〔タフシフ|タウシフ〕【踏襲/×蹈襲】】
    假借、声符⇒【敵⇒啇攵⇒冂古⇒古】【古周⇒コシュウ⇒こ‐しゅう〔‐シフ〕【故習/古習】】【周長⇒シュウチョウ⇒しゅう‐ちょう〔シウチヤウ〕【×繍帳】】
    假借、声符⇒【長⇒ジョウ⇒繞⇒まとう】

  5. SPOT のコメント:

    投稿 05
    <補足>
    假借、声符⇒【端】【為】⇒【假借為⇒搞】⇒【端搞⇒たん‐こう〔‐カウ〕【鍛鋼】⇒鍛造用の鋼材。鋼塊を成形加工したもの。】【全⇒銑】
    周礼、《冬官考工記》の編纂時は【銑】を戈に使用している文節構成になってます。正しい声符の場合の検証として【漢字に番号があり、積算合計数】⇒古代中国正史の各文節積算数が400になった場合が正解で解読できます。
    【四百⇔400】⇒古代中国の全州⇒九州を表します。
    <囲、围、晋围>
    【囲、围⇒太さを計るのに用いる語。】
    【晉⇒日⇒从囗一】【围】⇒【囗围⇒こう‐い〔クワウヰ〕【黄緯】⇒黄道座標における緯度。黄道を零度として南北に90度まで測る。】⇒【直径】

    <備考>
    周禮五経基軸文法はPCが存在しない時代のサイバーセキュリテで認証システムと思われます、漢字一字一句を巧に活用し、短文で編纂しています。
    甲骨文字の時代、夏、殷時代は二十八宿を基軸の文法で、周の時代以後は周禮五経を基軸に漢字文法が確立されました。このことは、説文解字に記述されていますが、誰も解読できません。

    この文法が正しいことを検証するために、過去に【法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘文⇒解読⇒座像寸法の検証】【合金力士形貳躯在中門⇒力士像の寸法】

    いずれも、漢字を華甲すれば漢字から寸法の計算式が隠されていると推測し、解読してみました、その結果、法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘文で【光背】【釈迦座像】【侠侍及荘嚴】の寸法がわりだせました。
    【合金力士形貳躯在中門】⇒160尺⇔【】⇒【剛⇒解読できません】⇒簡体字、新字体に置き換わっていると解読はできません。

    軍事用語のブロクがなければ、魏志倭人伝、日本書紀等の解読ができませんでした、これからもよろしくお願いいたします。

    当方のブログです、ご興味あればアクセスしてください。
    魏志倭人伝 卑弥呼 古事記 日本書記 万葉集 甲骨文字 以音 五経基軸文法による解読 (hatenablog.com)

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