近況報告 『周礼』冬官の定める殳の規格

はじめに

今回は打撃系武器・殳(しゅ)
についての御話。
御絵描きと妄想の回です。

日を開けずに、
などと言いながら、

結局2週間以上掛かってしまい、
大変申し訳ありません。

一度ならずではありますが、
出来ない約束は
するものではないなあと
痛感する次第。

1、殳の形状

それでは、早速、
サイト制作者の愚見ながら、

殳がどういうものか
以下のアレな図解
確認します。

『周礼』(維基文庫)、『周礼注疏』(国学導航)、稲畑耕一郎監修『図説 中国文明史』3、伯仲編著『図説 中国の伝統武器』、戸川芳郎監修『全訳 漢辞海』第4版、等(敬称略・順不同)より作成。

この殳の図解は、
大体のイメージ程度で
御願いしたいのですが、

サイト制作者としては、

要は、その定義めいたもの
鈍器という程度のことしか
分かっていません。

例えば、頭の本体から伸びる
トゲについては、
戦国時代のものには
ありませんし、

先端の突起(「刺」)
についても、

付いているのは
何も殳だけではなく、
戈に付ければ戟になります。

さらに、矛なんか
刺そのもので、

中国の古兵器どころか、
時代が下れば小銃にも付く、
と来ます。

2、「殳」の後漢・魏晋時代の解釈

一方で、『周礼』冬官
「盧人為盧器」の箇所では、

戈戟を「句兵」、矛を「刺兵」、
そして「殳」を「打兵」
しています。

「打」という字が出たことで、
サイト制作者が応援している
龍の球団の打線が湿っており
悩ましい限りですが、
それはともかく、

字義めいたものについても
少し触れます。

字引き(『漢辞海』第4版
によれば、

「殳」の文字自体が
「殳旁」(ほこづくり)という
部首でして、

「手に武器を持つ」意で
打撃を加える動作
表すそうな。

その他、以下は
漢代の解釈になりますが、
『釈名』释兵第二十三より。
(天涯知識庫さんより)

殳矛、殳、殊也。
长丈二尺而無刃、
有所撞挃於车上、使殊離也。

殳矛(しゅぼう)は、
殳、殊なり。
長丈二尺にして刃なく、
有るところは
車上において
撞挃(とうちつ、か?)し、
殊離せしむなり。

殊:殺す
長:長さ
丈・尺:10尺=1丈
周尺:1尺=18cm余
後漢尺:1尺=23.75cm
魏晋尺:1尺=24.2cm
車:戦車(2~4頭立ての馬車)
撞:叩く、叩き切る
挃:突く

先述の字引きに
上記の和訳と思しき部分が
ありましたので、

どういう言葉を
使っているのかしらんと
原文を読んでみた次第。

まず、長さですが、

『周礼』冬官には、
先述のように
1尋(=8尺)4尺と
ありまして、

周尺換算で約216cm。

また、劉熙の時代の尺だと、
同じ12尺とはいえ
285~290cm余。

因みに、サイト制作者は、

この70cm程度の違い
武器の長さとしては大きい
思っています。

例えば、前回触れたように、
これだけ違えば、

『周礼』冬官で言えば、

殳が車戟に、
車戟が矛に、
それぞれ化ける程の違いでして、

言い換えれば、
運用に支障を来そうもので、

その辺りに
言及されていないこと自体、

この殳という武器が、

通説の通り、

後漢から魏晋の頃には、

既に過去の遺物
謎の兵器の類に
なっていたように思えて
なりません。

3、一応、『左伝』に存在する用例

続いて、その使い方ですが、

そもそも、名称が、
「殳矛」と、
ふたつの武器で一括り。

そのうえ、

刃がないものは、
(恐らく車戦用との対比で)
徒歩戦闘用、

あるものは
車戦用で突き、叩き、
振り放す、と、

先述のアレな図解同様、

鈍器にオプションが付く、
程度のイメージしか
見えて来ないように思います。

次に、殳の具体的な
用例めいたものを、
『春秋左氏伝』(以下『左伝』)から
垣間見ることとします。

まずは、原文で読んでみます。

庚與将出、
聞烏存執殳而立于道左、
惧、将止死。
苑羊牧之曰
君過之、烏存以力聞可矣、
何必以弑君成名
遂来奔。

庚與:莒の国君
烏存:莒の大夫
執:手に持つ、構える
牧之:莒の大夫(杜預注)
聞:伝え広まる
来奔:逃げて来る

庚與まさに出んとするに、
烏存殳を執り道左に立つを聞く。
まさに止めて
死(ころ)さんことを惧る。
苑羊牧之いわく、
君これを過ぎよ、
烏存力を以て
聞こえるべきなり。
何ぞ必ず君を
弑(しい)するを以って
名を成さん。
遂に来奔す。

まずは、時代背景は抜きにして、
状況だけを見てみると、

要は、殳を手にした人が、
他人を脅かして
怪力の評判を得るために
道で通せんぼした、

―という御話です。

殳については、
力のある者が使うと
有効な武器である、
ということかと推察します。

因みに、杜預の注も
『釈名』と同じです。

後、わざわざ原文で読んだ理由は、

殳の描写が『左伝』で
希少なことと、

「執」に
もう少し細かい挙動をあらわす
意味があるのでは、と、
期待してのことですが、

どうも空振りに終わった気が
しないでもなく。

因みに、戦争であれ、
要人襲撃であれ、

『左伝』の人を殺す描写
群を抜いて
よく使われる武器は、戈。

戦争の花形の車戦で
頻度の高いのは弓です。

さて、棍棒で人を脅かした、
という話だけで判断すれば、

何だか、

繁華街の路地裏で
恐喝でもやってる
コワい方々の話かなあと、
なるのかもしれませんが、

脅かす人が大夫、
脅かされる人が国君ともなれば、

政治の話としても
穏やかではありませんで。

【雑談】国のゴタゴタの一例

以降は、殳の話から
逸れますので、
雑談扱いとします。

時代考証というよりは、
『左伝』の和訳の
拙い感想文ですので、

前以て御知らせ致します。

では、先の国君追放の件、
どういう経緯でそうなったか、
と言えば、

『左伝』によれば以下。

時は、春秋時代後半の
昭公二十三(前519)年の
旧暦七月。
(こういうの、数字にすべきなのか
未だに判断が付きません。)

斉の首都・臨淄(りんし)から
南へ150キロ程のところに
莒(きょ)という小国があり、

当時は斉の属国でした。

で、ここの時の国君
庚與(こうよ)が
残忍な人でして、

剣を新調しては
人で試し斬りをやったので
国人の不興を買いました。

で、その結果、

庚與が
斉からの離反を画策したのが
引き金となり、

部下で大夫の烏存
国人を抱き込んで
庚與を追放したのだそうな。

先の引用
その時の出国の際の御話です。

つまり、烏存は、
国君の逃亡に託けて
一芝居打ち、

それを見越した苑羊牧之が、

あれはパフォーマンスで
国君を殺すリスクは取りません、
と、諭した、と。

一応、もう少し、
時代背景について触れます。

まず、国人とは、謂わば、

首都の邑(惣構えの城郭)で
軍事や政治の実務を行う
士大夫の中では
中(の下)下級の社会階層です。

近代軍で言えば、
大体、近衛師団の、大体、
少佐・尉官から下士官・上等兵辺りを
イメージされたく。

文官で言えば、
中央官庁のノンキャリ辺りに
相当するのかしらと思います。

で、この一件も
恐らくそうですが、

諸々の政策は元より、
政変を起こすにしても、

この層の支持が
事の成否を
大きく左右します。

その他、
国君の国外追放については、

諸々の先生方、例えば、
高木智見先生等
御指摘されていますが、

猛烈な勢いで
国が淘汰されていった
弱肉強食の時代の割には、

他国が他国を亡ぼすのを忌み、
(大抵の国は、
周王朝の分家でもあり)

国の内外を問わず、

身分の低い者が
国君を手に掛けるのを畏れたのも
この時代のひとつのリアリズム。

これには、
他国の社稷を亡ぼすと
祟られるという
宗教的な理由もあれば、

中原の諸国が、

周王朝の定めた
秩序や身分制度を守ることで、

小国が大国と棲み分けて
延命を図るための
方便としても
機能します。

例えば、鄭の子産なんか、
まさに、
時代の申し子のような人。

自国が風見鶏のような国の癖に、

周の礼法を盾に、
晋の横暴な要求に対して
逆捩じを喰わせる訳です。

で、そうした
固い身分制度の下で、

臣下が国君を殺せば
エラい悪評が付いて回る訳で、

往生際の悪い部類ともなると、

実際に手を下した癖に、

役人を脅迫して
(終いには〇して)
史書を改竄させようとした
人までいる始末。

そのような社会につき、

政変が起きた国では、

その、色々やらかした
「いらない」元・国君を
国外に締め出し、

飲み食いした後の請求書の如く
申し訳なさそうに
友好国に押し付ける訳です。

で、亡命先に
様子を見に行った臣下が、

中々態度が改まらない、
などとボヤくのが、
御決まりのパターン。

『左伝』の実は主役の
(狂言廻しと言いますか)魯も、
春秋時代の後半に、
これをやっています。

おわりに

最後に、
今回の取り留めない話を
纏めるとすれば、以下。

殳は出土品を見る限り
形状は大体、鈍器であり、

恐らく周尺で
1尋4尺=約216cm、

その他、運用の事例からして、
力のある人が持つ武器である、

という程度のことしか
分からず、恐縮です。

さらに、
漢や魏晋の時代に至っても、

時の識者が、恐らくは、

『周礼』の内容を
尺を当時のものに直さずに
そのまま転載していることで、

殳は、この時代には、
通説通り、過去の遺物にでも
なっていたのかしらと
想像する次第。

もっとも、
人を殴るための棒は
ありふれていたと思いますが。

【追記】

殳の用例として、
『左伝』から
もう一例挙げます。

先述の例と
ほとんど同じ時期の
昭公二十一年(前521)、

宋の内訌が拗れて
晋・斉・呉等が介入して
戦争をやる事態にまで
発展しまして。

で、その最終局面の
戦闘の場面です。

宋の公子城と華豹が
赭丘(しゃきゅう、
詳細は不明ながら
杜預によれば宋の地)にて
恒例の車上の弓合戦に及び、

射殺された華豹の
車右(副官)の張匃(かい)が
殳で公子城の戦車の
軫(横木)を折る、

という、
凄まじい一幕が
ありました。

以下、原文です。

張匃抽殳而下、
射之、折股
扶伏而撃之、折軫
又射之、死

張匃殳を抽(ぬ)き下りて、
これを射、股を折る。
扶(つ)き伏してこれを撃ち、
軫を折る。
またこれを射、死(ころ)す。

抽:取り出す
扶:杖をつく
何かにすがって
体を支え保つ、

張匃が下車して
公子城に
白兵戦を挑むも、
股に矢を受け、

それでも殳を杖に
腹ばいになりながら
公子城の車両に迫り
側面に一撃を加えた、
という御話。

以前の記事でも
何度か引用した箇所ですが、

読み返すと、
色々な意味で
含蓄のある部分だと思います。

因みに、
殳の長さについては、

腹ばいとはいえ
杖にする位につき、

少なくとも
身の丈程度は
あったのではないかと
想像します。

さて、こういう用途の
武器につき、

例えば、戈については、

国君から野盗まで、
身分を問わず
色々な人が使い、

巧い人ともなれば、

相手の五体に引っ掛けて
スマートに
切り落としていることで、

戈との対比を考えると、

やはり、
力任せに振り回す類の
武器なのかしら、

と、思った次第です。

【追記・了】

【主要参考文献】(敬称略・順不同)

『周礼』(維基文庫)
小倉芳彦訳『春秋左氏伝』各巻
杜預『春秋経伝集解』
(上海古籍出版社)各巻
楊泓『中国古兵器論叢』
稲畑耕一郎監修『図説 中国文明史』3
伯仲編著『図説 中国の伝統武器』
篠田耕一『武器と防具 中国編』
増淵龍夫「春秋時代の貴族と農民」
高木智見『孔子』
戸川芳郎監修『全訳 漢辞海』第4版

カテゴリー: 世相, 兵器・防具, 軍制 パーマリンク

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