はじめに
2年もやってる癖に
記事配信の段取りが安定せず恐縮です。
どうも、次のまとまった記事を書き上げるまで
時間が掛かりそうなので、
今回は予告程度に武器について少し綴ります。
1、意外に変わらない戦争の常識
さて、前回にも少し書きましたように、
鎧の話の中に鉄の話を混ぜ込む理由は、
それだけ鎧の製造技術に与えた影響が
大きいからです。
正確に言えば、
攻撃系も含めた武器そのものへの影響が
極めて大きかった訳です。
さらに言えば、
サイト制作者の考えとしては、
戦国時代と後漢三国時代の戦争の
最大の違いは、
鉄器の普及の程度だとすら思っております。
例えば、曹操は古の兵書に脚注を施しましたが、
あれは単なる古典趣味ではなく
実学の一環としてやったと思います。
何せ、軍府からの兵書の持ち出しが
機密に抵触する時代です。
―もっとも、昔の書物であれば、
機密以前に写本は随分出回っていたとも
思うのですが。
そう考えると、
当時の武将が孫呉の兵書を読むのも、
今で言えば、
売れっ子経営者の書いた
最新のハウツー本でも読むような感覚と
想像します。
ええ、間違っても、
文学は不良のやるものだと蔑まれた時代に
まさに国費での留学先の某国でやらかした森〇外に、
(そういう話が娯楽小説どころか
高校の現代文の教材になるのが
教育の不可解なところだと思うのですが)
文章上達の秘訣に「春秋左史伝を読め」と言われて、
(小説家志望者を薫陶する類の話ではないと信じます)
先生の人生で言えば、陸〇省で権謀術数に明け暮れるよりも
ド〇ツで恋愛とか青春する話の方がいいのに、と、
顔を顰めるような類の話ではなかろう、と。
事実、後漢・三国時代も、
戦国以来の伍や什で隊列を組んで
戦争をやっていましたし、
曹魏の弩兵・弓兵も銅の鏃を使っていました。
幕末の戦争のように、
火縄銃の射程距離外から
伏せ撃ちのミニエー弾を喰らって
浦島太郎になっていた訳ではありません。
一応、数百年前の兵書の内容が
そのまま実学として通用するという、
一定の凝り固まった常識の範囲で
事が動いていたように思います。
―もっとも、三国時代どころか、
火砲が登場するまでそれで事足りる訳ですが。
2、鉄器の普及が個人技を変える?!
ですが、そうした中でも、
少なくとも、個人レベルの白兵戦については、
かなり様変わりしていたようでして。
具体的には、以下。
例によって、アレなイラストで図解します。
簡単に言えば、
鉄器の普及によって、
刺突系の攻撃が主流になった訳です。
そして、武器の形状も
それに特化するという御話。
モノの本には、
これによって戦闘も凄惨になったとあります。
例えば、互いに相手の首を狙い
鍔迫り合いになるどころか、
いきなり急所や下半身を
グサリとやれる成功率が高くなったからでしょう。
筆者はこんなブログやっている割には
武道の経験は殆どないのですが、
漏れ聞く話によれば、
幕末の数々の実戦の斬り合いで
有効だったのは突きで、
剣道でも、
熟達者が殺せるのもコレなんだそうな。
(危ないので初心者には教えないとのこと)
この辺りの話は、当然ながら、
経験者の方々の方が詳しいと思いますが、
余談として、あくまで御参考まで。
言い換えれば、
銅製の武器に対して
皮革製の防具は貫通を防げたようでして、
戦国時代までの攻防の相場は
恐らくその辺りだったと想像します。
そして、その構図を一変させたのが、
鉄の普及による
刺突系の攻撃に特化した
武器の形状の変化。
3、故事「矛盾」の裏側を邪推する
ですが、守る方も鉄の鎧を装着する訳でして、
まさに、「矛盾」という故事を想起させる
展開になる訳です。
さて、この「矛盾」という故事は
『韓非子』に出て来る御話です。
つまり、戦国時代以前―鉄の武器の使用が
かなり限られた時代です。
サイト制作者が邪推するに、
街頭で口上売りなんかやるような程度の
小商いにつき、
恐らくは、銅製の矛の話と想像します。
【追記】
とはいえ、
干将・莫耶の故事宜しく、
鉄鉱石に数百度程度の低温で
焼き入れ・焼き戻しを何度も行う、
所謂「百錬鋼」による掘り出し物という可能性も
否定出来ないのですが、
どの道、
矛が盾を綺麗にブチ抜いたところで、
法家連中のロジックでは、
貫通力を褒めるような殊勝な話にはならず、
詐欺の現行犯を咎める
哎呀な展開になるのでしょうねえ。
因みに、こういう手の掛かるローテクは、
資本力の小さい製鉄業者の製法。
加熱温度が低いことで不純物が少なく
また、炭素濃度が極めて低いことで、
堅くてよくしなうスグレ物。
とはいえ、こういう、
資本力=品質とならないところが
当時の技術の面白いところでして、
曹操が作らせた宝刀はこの製法。
【了】
で、盾が革製であれば、
先述のような話であれば
通さない可能性も少なからずありまして。
ですが、実際の戦争では、
こんな小賢しい理屈でカタが付くような
生易しい話ではありません。
大口の国や諸侯の軍であれば
消耗品と割り切って矛も盾も大量に買いますし、
買うどころか、
そもそもの原料の統制から
国策で行います。
まあ、中には、南北戦争の時に
モ〇ガンから廃銃を300丁も掴まされて
怒り狂ったリ〇カーンのような人もいますが、
ク〇ップはそうやって鋼板も大砲も売り捌き、
これに味をしめてナチと心中仕掛けて
軍産から足を洗い、
何処かの島国も、
必死に戦闘機やミサイルの開発を行う傍ら、
最新鋭の戦闘機も対空ミサイルも
大枚はたいて買う訳です。
少なくとも、戦国時代の斉や秦も、
各々の兵器のレベルでは矛盾しようが、
そうやって国営の軍需工場を経営する訳です。
しかも、売る方は、
特に春秋時代辺りまでは
諸侯の外商部門だったりする訳です。
【追記】
恐らく、春秋時代の領邦国家の外商部門が、
戦国時代には主家が没落して
土地や軍事力の裏付けを持たない
「純粋な」商業資本として独立し、
各地で土地を買い漁る展開になると
想像しますが、
中には徒手空拳から成り上がった者も
いたことでしょうし、
その辺りは、系譜の話も含めて、
もう少し裏付けを取った後、
後日大きな記事にしたいと思います。
ところが、農本主義の戦時体制を
敷きたい法家連中は、
その種のボーダレスな商業資本を、
蛇蝎の如く嫌い、
甚だしい場合は
罪人同様の徴兵で弾除け部隊(弓弩兵)に
ブチ込むのですが、
一方で、呂不韋のようなのが
各国で幅を効かせていたのも
戦国時代の国家のひとつの顔でした。
【了】
こういうレベルの話になると、
寅さん宜しく街頭の口上売りで
クレーム対応に追われるどころか、
壱岐君宜しく
キック・バックとして
多額の袖の下を掴ませる光景の方が
余程真に迫っていると言えると思います。
死の商人と軍隊の関係なんか、
いつの時代も、
表裏一体の関係とでも言うのか
人を呪わば穴ふたつとでも言うのか。
そして、矛盾どころか、
鉄製の武器が出回っても
皮革製の鎧を作り続けたのも
兵器史のひとつの側面です。
こういう話は漢代に止まらず、
後の時代になると、
明光鎧の形状の革製なんかも登場するそうな。
おわりに
何だか、例によって、
話がヘンな方向に飛びましたが、
結論として、
鉄の普及によって、
刺突系の攻撃が盛んになり
殺傷力が飛躍的に高まり、
鎧の製造もこれに影響されていく流れを
多少なりとも読み取って頂ければ幸いです。
【主要参考文献(敬称略・順不同)】
学研『戦略戦術兵器事典 1』
楊泓『中国古兵器論叢』
伯仲編著『図説 中国の伝統武器』
篠田耕一『三国志軍事ガイド』・『武器と防具 中国編』
林巳奈夫『中国古代の生活史』
岡倉古志郎『死の商人』