戦国から前漢における特産物の分布とその取引

はじめに

今回は、戦国から前漢までの時代における
各地の特産物と商売の話です。

何だか、テーマの戦争からかなりズレていますが、
総力戦という意味では産業力も戦力のうち、と、
詭弁を弄しておきます。

と、言いますか、
こういう話が兵器や軍需物資の製造の話につながるよう、
努力致します。

 

1、主題に関する御本の紹介

因みに、今回のテキストともいうべき本は、
柿沼陽平先生の『中国古代の貨幣』(吉川弘文館、2015年)。

吉川弘文館は日本史関係に強い本屋さんで、学会も抱えています。

それはともかく、
この御本はサバケた本でして、

マクラの話で半沢直樹の話やら
この本の売れ行きの心配やらの生臭い話をなさっていて、
笑えると言えば笑えます。

ですが、その一方で、
貨幣の定義について
歴史学の枠にとらわれずに非常に広い視野で考察を試みたり、

そうかと思えば、
イキナリ、実際に当時の市場を歩いてみようとか言い出して、

当時の物品の価格決定のプロセスを説明したり、
市場の立地や生々しい商行為風景の再現を試みたりと、

中々、写実的かつ野心的な内容の文献です。

本当は、当初は研究者ではなく、
作家を志していらっしゃったのかしらと思えるような
視角とでも言いますか。

なお、市場の光景については、
別の稿で扱いたいと思います。

また、戦争との絡みでは、
兵卒の供給源のひとつである
ヤバそうな人々が徘徊していたり、
武器なんかも売られている場所の模様。

余談ながら、

柿沼先生御自身が
学部生レベルの目線を意識されただけあってか、
平易な言葉でまとめられて読み易かったと思います。

自分の学生時代にも、
専攻分野に対して
こういう秀逸なアプローチを行う文献に出会えれば、

もう少し勉強もラクに進んだのかしらと
当時を懐かしく思う次第ですが、

その意味では、
その分野の最前線の研究者が
必ずしも教育に向いているとは限らないことの好例です。

名選手名監督に非ずの歴史学版か。

 

2、取引産品のアレコレ

前置きが長くなって恐縮です。

早速ですが、下記の地図にて、
当時の特産品の分布状況を確認しましょう。

柿沼陽平『中国古代の貨幣』p115-p119の文章を元に作成。

文献に出て来る地図を拙い手法で加工したものですが、

こんなものでも、いざ作るとなると、
結構苦労します。

例えば、特定の都市の位置を探ろうとすれば、
時代ごとに河川の流域や地名が異なっていまして、

その意味では、
整合性に欠ける部分も少なからずあります。

したがって、
大体この地域には、こういう特産物がある、
といった大雑把な理解で御願い出来れば幸いです。

それでは、地図の詳細について触れます。

まずは、拙い自作のアイコンについて。

現代の感覚ではイメージにしくいものもあり、
その種の物品の説明を行います。

 

「五穀」
大体は炭水化物の穀類ですが、
国や時代によって定義が異なるので面倒な言葉です。

甚だしい事例として、『周礼』なんぞ、繊維である麻を含みます。

よって、ここでは、稲・麦・豆・粟・黍、
といったものを御想像下さい。

「卮(し)」
辞書によれば、木製で漆塗りの盃。

「薑(はじかみ)」
生姜のことです。

「丹沙(たんさ?)」
硫黄と水銀の化合物です。
朱色で、顔料・薬剤に使用されました。
別名:辰砂(しんしゃ)・丹砂・朱砂・朱丹、等。

「鮑魚(ほうぎょ)」
塩漬け干物の魚のことです。

「棗(なつめ)」
中華料理のデザートによく出て来る果物ですが、
薬用としても使います。

日常的に好んで食べる日本人は少ないと想像します。

サイト制作者が
モノを知らないだけなのかもしれませんが、
今日のスーパーで見掛けることは少ない気がします。

 

3、便利な概念「経済圏」と
金融センターとしての「洛陽経済圏」

続いて、「経済圏」について説明します。

まず、「〇〇経済圏」というのは、

『史記』の貨殖列伝を元に
柿沼先生が独自に設定された分類です。

この中で、
最初に注目すべきは、

恐らく経済活動が活発な「洛陽経済圏」と、

穀倉地帯、あるいは繊維産業も盛んな
「山東経済圏」・「関中経済圏」だと思います。

特に「洛陽経済圏」(洛陽・河内・河東の一帯)は、
「経済」活動が活発、と、簡単に言えど、

その「経済」が意味するところは、
恐らくは、高度に洗練された金融業、あるいは、

政府や軍閥の戦費や政策資金の調達に関連する
債券市場とでもいうのか、

つまるところ、
他の経済圏を圧倒的に凌駕するレベルの
巨額の資金が動く経済活動であり、

全ての経済・産業の中枢を占める、謂わば、

今日の世界経済でいうところの、
ニューヨークや香港といった
(シティは、色々と揉めているので一応外します)
金融センターのようなニュアンスではないかと想像します。

 

4、先進地域の定義

次いで、「山東経済圏」・「関中経済圏」について。

一次産業の比重が極めて高い
前近代の産業構造という視点で見れば、

広い平野に位置する穀倉地帯
繊維生産を副業に持つ経済圏というのは、

言い換えれば、
大人数を養うことの出来る裕福な地域の証拠です。

さらには、
機械化以前の衣類の価値は高く、
そのうえこの時代の布は貨幣にも化けます。

こういう事情があってか、

孟子(出身は鄒:今日の山東省)の母親なんか、

ドラ息子が学業をサボッて勝手に帰省しやがったうえに
偽造通貨を作っていたところを目撃されたので、

当局に通報されるのを恐れて、
逆ギレして一芝居打った・・・

―という解釈は、当然ながらデタラメです。

つまらない話はともかく、

日本で言えば、
明治時代前半までの大阪や名古屋等の地域が
それに相当します。

昭和になってムリしてゼロ戦や戦艦大和なんかこさえても、
その財源は、材料がほとんど自前の生糸の販売で
捻出する訳でして。

それはともかく、古代中国の場合は、
黄河沿いの地域が裕福であるということなのでしょう。

黄河が舟運という交通路でもあることで、
その後背地産業という意味を含めて、
前回の都市の分布の話と軌を一にします。

さらには、臨淄の場合は、
地面からの上がりに加えて海を持つことも長所でして、
特に塩の利権は大きい訳です。

なお、塩と鉄の話は、後で少しします。

因みに、長江以南の本格的な開発が進むのは、
3世紀の孫呉政権の時代です。

ゲームで言えば、強力な破壊力を持つ
山越の歩兵部隊との死闘を繰り広げる
『三国志Ⅸ』の世界。

こういう風に考えると、

斉が経済的な潜在能力の高さという点で、
大国になる条件が揃っていることが
想像出来ようかと思います。

で、余談ながら、こういうポテンシャルの賜物か、
後年、異国の日本が威海衛を欲しがったり、
ドイツ人があそこでビールを作ったりするんですなあ。

因みに、「山東経済圏」は、
春秋戦国時代の国号や地域で言えば、
斉・鄒・魯・梁・宋といった地域に相当します。

また、劉邦の「関中王」の関中は
函谷関の西側の地域ですが、

ここでは、汧・雍~河・華といった
散関や隴関の東側の限られた地域。

 

 

5、北方の経済圏の特徴

次いで、その他の北方の経済圏に目を向けますと、

「燕経済圏」
渤海から碣石間、中山、といった地域でして、

この辺りの緯度になると、
北方の「異民族」との交易が
盛んに行われるようになります。

また、海に面していることで、
塩や魚といった海産の資源にも恵まれます。

個人的に面白いなあと思ったのは、
天津甘栗のルーツめいたものは
この時代からあったのか、という点です。

さらに、斉や燕のような立地になると、
朝鮮半島との交易も射程圏内に入ることと思います。

また、北方との交易の経済圏としては、

楊や平陽、上郡等を擁する「山西経済圏」
天水・北地・隴西(天水の西)を擁する
「西羌経済圏」があります。

戦争は強いが経済力に乏しい匈奴等の騎馬民族が
武器や食糧を欲しがってやって来る訳でして、

商売や移住もやれば、
刃傷沙汰のトラブルや略奪もやる訳です。

で、その結果、怒り狂った趙や漢の軍隊との
ガチの抗争も一度ならず。

―そういう風土に近いためか、
この辺りに経済圏では牧畜も盛んに行われます。

無論、北方だけでなく、
付近の経済圏との取引も当然ありまして、

例えば、楊や平陽は関中との取引があった模様。

 

 

6、南方の経済圏と銅と塩

さて、今度は、打って変わって、
南方に目を向けることとします。

資源依存型という点では、
黄河流域以外の経済圏と似たものを感じます。

まずは、「巴蜀経済圏」。

ここを根拠地として強大な項羽と戦った劉邦は元より、
王莽に関連する動乱期の公孫述もそうですが、

地政学的に非常に恵まれていることで、
ここに籠ると鉄壁です。

結果として、ここの攻略に苦しんだのは、

曹魏(三国志の魏!)どころか
20世紀の日本も含まれていたりするので笑えません。

そのうえ、
中原に比して開発が進んでいないとはいえ、
やはりさまざまな資源に恵まれた地域であることには
変わりありません。

特に、鉱物資源に恵まれ、
この地図には記していませんが、奥地では塩も取れます。

そのうえ、漢代には、
この地に国内有数の軍馬の放牧場が作られ、

三国時代には絹まで作り始めることで、
そうした人口だけでは推し量ることが難しい
経済的・軍事的な付加価値が出来たことで、

魏相手の何十年もの継戦能力はダテではないと言いますか。

次いで、「呉経済圏」。

これは、項羽の策源地である彭城より東の地域、
東海郡、当時は後進地域であった呉、
この後の時代に
孫呉政権(三国志の呉!)の首都になった広陵、
といった地域を指します。

海産資源は元より、
注目すべきは、塩と銅。

これは「巴蜀経済圏」にも言える話ですが、
塩は言うまでもなく生活必需品でして、

『塩鉄論』の桑弘羊とか諸葛某とか、
大抵は国家が専売して税収の足しにします。

で、儒教で理論武装して清貧ぶった
汚職官吏の利権に対して、

盗賊が非合法の廉売をやって
御決まりの密売と摘発のイタチごっこが起き、

そういう食傷気味の活劇の最終回に
主役の盗賊団が暴動を起こして視聴率を稼ぎ、
別の時代で再放送、と。

また、はと言えば、
国家の経済力と暴力装置の両輪とも言うべき
貨幣と武器の双方に使われます。

さらには、この時代はまだ銅が武器の主要な素材でして、
この少し後の曹操の軍隊も、
物の本によれば、鏃は青銅製であったそうな。

この塩と銅の御話、
つまりは、王朝の権力基盤を支えるための
地下資源を有していた、という主旨です。

序に、銅の話からは逸れますが、
漢代の鉄と塩を管理した
鉄官・塩官の分布図も、以下に掲載しておきます。

『中国歴史地図』p37の図を加工。

最後に「楚経済圏」ですが、
ここについては筆者の不勉強につき、
あまり儲かりそうな経済背景が見えて来ないのですが、

未開発地域における山林関係の資源や、
家畜が高価であった時代の皮革というと、
あまり先進的なイメージは沸かないのですが、

産業として外貨を稼ぐレベルで成熟しているとなれば、
相応に高次なのものであったことでしょう。

楚や項羽のファンの方、悪しからずです。

 

 

7、商売を左右する闇コスト?!

さて、これまで特産品の分布について
一通り見て来ましたが、

こういう知識があったところで、

その種の情報さえあれば
ネットの先物取引宜しく
端末を弾くだけで大金持ちなれるかと言われれば、

柿沼先生に言わせれば
世の中そんなに甘くはないそうな。

何の話かと言えば、
取引費用が馬鹿にならなかったのが当時の実情の模様。

で、この「取引費用」の内訳もかなりの曲者でして、

本人やスタッフの旅費や
運搬用の家畜の飼料といった
割合マトモなコストだけであればいざ知らず、

商品の護送部隊の手配や経由地での役人への賄賂といった、
途上国に打って出る商社が負担するような
怪しい支出も生じる訳です。

逆に言えば、
この時代の花形の商人、
―秦の呂不韋、蜀の卓氏、宛の孔氏といった人々は、
各国各地の官吏との昵懇の仲であり、

モノによっては
商品の売買から一歩踏み込んで
製造にまで手を出していたそうな。

つまり、資力・人脈・腕力(カネに換算可能ですが)
が伴ってこその経済力でした。

「政商」という言葉がありますが、

時代背景を考えれば、
こういう泥臭い力が無ければ事は動かなかったのでしょうし、
同時に、国を買おうという発想の源にも成り得たのでしょう。

市場ですら、ひったくりが横行した時代のことです。

ただし、こういう手合いは
貧者の生活を踏みにじってまで買い占めをやりますし、

その意味では、
農本主義で秩序が大好きな儒者が嫌うのも
分かる気がします。

ですが、その儒者が
こういう強欲な商人から平気で賄賂を取るという
非常識な常識が罷り通るのも
古代中国では有り触れた御話です。

それはともかく、

いつかの回で、国家の統廃合が進んだことで
ボーダレスな大商人が登場するようになった、
と綴ったことを思い出しましたが、

これはこれで間違いないにせよ、

それを含めてもなお、

遠隔地での商行為には、

民度やその土地の事情等に起因するリスクや、
距離に応じた物理的な負担が
常に付いて回るということなのでしょう。

因みに、孔子様御一行があれだけ長い行旅が出来たのは、
それ自体、当時の感覚では壮挙でありましたが、

当人の直弟子世代が
孟子や荀子のような戦争に疎い頭デッカチではなく、

春秋時代特有の
戦争巧者や腕自慢の猛者が多かったことが
大きいように思います。

 

 

おわりに

そろそろまとめに入ります。

まず、各々の地域の物産について、
「経済圏」という便利な分類方法が挙げられます。

それによると、目ぼしいものとしては、以下。

経済の中枢の「洛陽経済圏」
穀倉地帯で繊維産業も盛んな「山東経済圏」

地下資源が豊富で、
特に銅・塩が採取可能な「巴蜀経済圏」

海産資源に恵まれ、
やはり塩・銅が採取可能な「呉経済圏」

その他の経済活動としては、
北方では牧畜や騎馬民族との交易で潤い、
南方では木材や皮革、魚の干物等が交易産品としての
稼ぎ頭であった模様。

ですが、こういう情報を活かそうにも、

遠隔地の商行為は色々とリスクが多く、
警護部隊の手配や役人への賄賂といった費用も
少なからず嵩みます。

そして、こういう障壁の向こうに
巨万の富が待ち受けていたのですが、

その恩恵に浴することが出来たのは、
ほんの一握りの人間であった、という、

カネの臭いこそするものの、
その実態は、無慈悲なまでの弱肉強食で
何とも夢のない御話です。

 

 

【主要参考文献】
柿沼陽平『中国古代の貨幣』
江村治樹『戦国秦漢時代の都市と国家』
戸川芳郎監修『全訳 漢辞海 第四版』
林巳奈夫『中国古代の生活史』
飯尾秀幸『中国史のなかの家族』
沢田勲『冒頓単于』
高木智見『孔子 我、戦えば則ち克つ』
西嶋定生『秦漢帝国』
宮川尚志「漢代の家畜(上)・(下)」
林漢済編著・吉田光男訳『中国歴史地図』

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