後漢時代における平民男性の四季に応じた装い

はじめに

 

大体1週間程度で1記事を更新したいのですが、
イラストを描くのに手間取ってこれもままならず、
本当に恐縮です。

さて、今回は、後漢時代の服飾に戻ります。
その中で、平民男性の四季に応じた服装について綴りたいと思います。

何故、先の回で平民男性のそれについて説明したのかと言えば、
夏や冬場の装いが絡んで来るからです。

そして、『三国志』の戦争の季節というのは、
例外こそあれ、兵糧の刈り入れが終わって馬が肥えた秋から冬、
というのが大体の相場、という事情もあります。

 

1、袍(ほう)

1-1 概要

それでは、早速ですが、
下記のヘボいイラストを御覧下さい。
(服飾のような分野は、下手な絵であれ、
視覚に訴えた方が説明し易いのです)

これは「袍」という、
当時の中国では、身分を問わず、最も馴染みの深い服装です。

 

まず、袍の説明から。

用途は大体は礼装でして、貧富を問わず着用されました。
富裕層が着るものは、生地が良く細かい紋様が入っていたりします。

動きにくいことで、農作業や従軍に適した日常着とは言えないでしょうが、

冠婚葬祭の他には、
郊外の居住区の里から、
人でごった返す城市に買い出しに行く時に着用したと想像します。
所謂、ヨソ行きの服かと思います。

また、後述する裘(きゅう)という、
今日でいうところのコートも存在することで、
袍の着用は季節は年中だと思います。今でいうところのスーツか。

一方で、この「袍」の一類型として、
低品質の麻や屑糸で作ったものは「縕(うん)」というものもあり、
割合厚手のもので、
主に冬場に着用されました。

因みに、袍にせよ、縕にせよ、
粗悪な物を「褐(かつ)」と呼びます。

 

1-2 袖の形状

続いて形状ですが、
まず、襟・袖は別の生地を用い、
これがないものは下等だとみなされていました。

さらに、袖ですが、儒家が幅を利かしたことで、
高価なもの程、裾が長く幅が広いのが特徴。

ですが、前漢に比して、後漢のそれは少し小振りになっています。

また、その中でも形状はさまざまでして、

袖口が広いものを「袂(へい・べい)」、
反対に、絞ったものを「袪(きょ)」と言います。

袪の袖口の幅も様々でして、
イラストのように極限まで絞ったものもあれば、
袂の袖幅より少し絞ったものもあります。

なお、イラストにある袪は、ドラマのものを参考にしました。

 

1-3 裾の形状

裾の丈は、「袍」の定義としては、膝より下まであるもの。

ですが、その範囲でも形状は様々でして、
イラストにあるように地面から少し高いものあれば、
踝が隠れる位のものもあります。

高貴な女性の着物になると、
裾を床に引き摺るものもあります。

また、前漢までは、裾が傾斜した「曲裾」と呼ばれる形式が流行していましたが、
後漢では「直裾」という、地面と並行のものが取って代わりました。

なお、袍の下衣(下半身の衣類)として、
当時の主流は「褲」と呼ばれるズボンでした。

 

 

2、襦(じゅ)

2-1 男性用の「襦褲(じゅこ)」

 

「襦」は、作業・戦争その他に用いる、汎用性の高い上半身の日常着です。
平民の男女御用達。

上記のイラストは、
前回でも触れましたが、当時の労働者・兵士が愛用した「襦褲」。
上半身の「襦」と先述した下半身の「褲」を合わせて「襦褲」と呼びます。

季節は、春から秋まで着用されました。
そして、これのさらに薄手のものを「衫(さん)」と呼びます。

丈は、袍とは逆に、膝から上までのもの。
膝からヘソが隠れる範囲であれば、様々なものが存在します。

一重のものもあれば、裏地の付いたものもあり、
季節に応じて使分けたのでしょう。

また、袖の長さや幅も様々です。

で、これも、粗悪なものを「褐」と呼びます。

 

 

2-2 女性用の「襦裙(じゅくん)」

 

一方、襦は女性の日常着でもありまして、
この場合、裙と呼ばれるスカートを履くので
「襦裙」(じゅくん)と呼ばれます。

また、先の回で触れましたように、
下半身には裙の中に褲を穿くのが主流だったようです。

ストッキングとレギンスの中間のようなものだと思いますが、
残念ながら、一番肝心な、その中のものは、
制作者の浅学にて分かりません。
(男性のソレは後述します)

―余談ながら、時代が下ると、
鍵付きの貞操帯のようなものも出て来ますが、
その種のものが当時の主流だったのかは分かりかねます。

 

因みに、左側の女性は髷を結っていないので、
当時の感覚としては相当だらしない訳です。

まあその、狂言廻しと言いますか、アシスタントと言いますか、
もう少し描き込んで修正して、
図解に役立つように致します。

後、大体、時代劇で人気のあるのが、
軍装と着物につき、
女性の服飾も機会があれば取り組みたいと思います。

 

 

2-3 古代の女性の社会的位置付け

 

さて、申し訳ないのですが、ここで余談。

悲しい話ですが、王朝時代の女性の地位というのは驚く程低く、
今日の感覚で言えば、奴隷という他はありません。

当然、この時代とて例外ではありません。

妻を宴席で他人の前に出すのが恥、
籠城戦では愛妾を人肉にして他人に振る舞うのが美徳という、
21世紀の感覚では到底理解し難い世界です。

それどころか、民国時代も、
どうも農村では王朝時代の慣習が残っていたようで、
(現在でも法と現実の経済結婚の乖離が社会問題になっているようですが)

凶暴な太平天国や今の中共が当時あれだけ支持されたのは、

女性に限らず、
社会的弱者のための政策を本腰を入れて取り組もうとしたことが
少なからずあるような気がしてなりません。

 

 

3、裘(きゅう)、裸(!)

 

3-1 コートとしての「裘(きゅう)」

 

 

 

以上、春から秋の衣類について説明しましたが、
ここでは、冬場の上着「裘(きゅう)」と、猛暑のフンドシについて触れます。

裘とは、皮衣、あるいは今日でいうところの(毛皮の)コートでして、
その形状は、袍のようなものもあれば、
袖が広くて裾が膝より上のものもあるようです。

ただ、漢代のものについては生地以外には詳しい説明がなく、
イラストが漢代のものであるかどうかは分かりません。

一応、情報源めいたものを挙げます。

左側は、漢代の隠士で有名な厳光の絵を参考にしました。

もっとも、この絵というのが何種類もあり、
さらには写実的で鮮やかなタッチからすれば、清代以降だと思いますので、
話半分で御願いします。

また、右側のものは、典拠は失念しましたが、
さる漢文読解用の辞典に掲載されていたイラストを参考にしました。
これも、漢代のものとしては、話半分で御願いします。

 

3-2 創作が不可欠な娯楽作品の世界

 

と言いますのは、

例えば、ジャンヌ・ダルクの絵なんか、
没後600年弱の間、色々描れていますが、
その時代考証はと言えば、時代によっては本当にいい加減なものです。
サイト制作者も本で見て、確かめました。

日本でも、コー〇ーの無双の服飾なんか見ていれば、
素人でも分かろうもの。
ですが、現代の価値観に近い方がウケるのでしょう。
方向性はともかく、描き手も企業も必死なのです。

文化圏が違うとはいえ、こういうことが往々にしてある訳で。
そして、歴史は繰り返す。

中国でも、三国志の絵本に出て来る鎧をよく見ると、
漢代のものにしては妙に装飾が綺麗で、
何だか怪しそうなのが少なからずありますし、

カンフー映画ひとつとるにせよ、
例えば同じ清末民初が舞台ものでも、
全盛期の70年代の作品に比して、
最近のものは麻の生地が多くなった反面、紋様が現代的で鮮やかになり、

サイト制作者としては、浅学にして、
どちらが正しいのか分かりかねます。

もっとも、怪しい時代考証の善悪は、
再現の目的によって異なると思います。

創作の世界で史実に忠実にやったら、
見世物や芸術として成立しないこともあるからです。

また、サイト制作者のように不勉強なケースもあれば、
当時の研究自体が未熟であったケースもあることでしょう。

悪意が弊害をもたらすケースは後述します。これが生々しいもので。

では、真贋の区別が難しい中、
何故、サイト制作者が袍等について、断定したような書き方が出来るのか、
との問いについては、

まず、向こうでは漢代の現物が残っている場合がありまして、

さらには、中国の服飾関係の本には、
当時の(ヘッタクソな)壁画をそのまま書き移したものが
多数載っていまして、
これが、各々の服装に応じて様々なパターンがある訳で、

こういうものと文献の文章と整合性を取って、
サイト制作者が、(これまたヘッタクソな)イラストをでっち上げる、
という次第。

 

 

3-3 歴史学は詐欺師との知恵比べ?!

 

ですが、サイト制作者自身、
こうやってドヤっても内心はビクビクしていまして。

その理由として、
中国というのはカネになれば何でもやる国のようで、

モノの本(柿沼陽平先生の『中国古代の貨幣』)によれば、
墓荒らしどころか古文書の贋作作りまで横行するのが現状の模様。
(これが、研究者も騙される位に精巧なものだそうな。)

日本でも、10年以上前に、
某所で贋作土器を埋めたことが問題になりましたが、
向こうでは贋作製造者と地域がグルになるのが茶飯事で、
その常態化の結果、詐欺のテクニカルタームまであることで、
恐らく、日本の事件が問題にならない位の規模と想像します。

で、研究者ともなれば、こういうものの目利きも必要な資質で、
そのうえ、科学の力まで借りて正確性を期すという、
日本史のような個人プレーでは限界のある大変な世界だそうな。

壁画のケースとて、
交通の便の良い洞窟の壁面にそれっぽくヘッタクソな絵を描き、
「新発見!」とやって見物料を取る位のことをしそうで
何とも不安な限り。

こういうものを掴まされれば、

研究は元より、
教科書の内容どころか場合によっては政策判断まで狂います。

例えば、大金をはたいて買った王朝時代の戸籍簿の同じページに
「李小龍」「習近平」とか書かれていれば、
ファンか支持者以外は泣きたくなるでしょう。

ただ、何物であれ、贋作自体が手の込んだものであれば
必ずしも無価値だとは言い切れませんし、
正規の職業としての贋作製作者の方々もいらっしゃいますが、

その一方で、本物と贋作の価値もそれだけ大きく、
騙す方も騙す方で、その差異が大きいからこそやる訳でして、

買う方としては、溜まったものではないと思います。

とはいえ、ブランド物なんか、

偽物と分かっても手を出す方もいらっしゃり、
出国の際に税関で召し上げらるケースも多々あることで、
この辺りはイタチごっこという現状。

―ただ、古文書の偽造までやるのが、
良くも悪くも中国人らしいと言いますか。

 

 

3-4 裘の生地、これもピンからキリまで

 

話を裘に戻します

その生地ですが、平民が着るものについては、
大体は羊や犬、狼等の毛。

恐らく、中原や華北なんかでは、
軍用でも着用したのではなかろうかと想像します。

で、これが富裕層の着衣となると、
豹やキツネ、鹿、虎等となります。

中でも、特に珍重されたのが白狐。
これらにはとんでもなく高価な値が付きました、
と、言いますか、オーダー・メイドだったのでしょう。

見た目も目立ったと思います。

逆に、粗悪なものを「裘褐(きゅうかつ)」と呼びます。

 

 

3-5 裸も衣装?!「犢鼻褌(とくびこん)」

次は、一転して、夏場の御話。

上半身の衣類じゃ、襦褲や衫の他に、
スッポンポンの裸の大将、ではなかった王様、もありまして、
さすがに下半身は巻物をするという具合。

「犢鼻褌(とくびこん)」という、
向こうで少なくともニ千年の歴史を誇る、
伝統的なフンドシです。

犢鼻というのは、字面は子牛の鼻ですが、
人間の膝頭の中の骨を意味するようです。

これは、後漢の少し後の、
北魏から隋までの時期の挿絵を参考にしました。

これで農作業に従事するそうな。
三国志の英雄にも、こういうのが結構いたと想像します。

―余談ですが、日本でも、
「裸体習俗」と言いまして、
農村では戦前までは広く行われていたそうな。

因みに、今日で言うところの、
ズボンとパンツ関係については、

「大褲」・「小褲」といい、
前者は、普通の丈の長いズボン、
後者は、大褲の中に穿く短いズボンを指します。

腰や尻の感触が悪そうですが、
あるいは犢鼻褌も穿いていたのかもしれません。

また、現存する犢鼻褌は、大分後の時代のものですが、
その形状は局部だけを隠すものでして、
漢代もこういうものを大褲の中に穿いていた可能性があります。

 

 

おわりに

残念ながら、大層な結論めいたものはありません。
そのうえ、例によって、話の腰を折る脱線話が多くて恐縮です。

強いて言えば、袍や襦等、それぞれの形状ごとにさまざまなパターンがある、
ということとなりましょうか。

三国志関係のコンテンツを楽しむ、あるいは、
小説やイラスト等を描く際にでも、
多少なりとも参考になればと望外の幸せです。

一方で、庶民が着用可能な衣類の色については、
不勉強で分からないままです。

例えば、黄色の場合、
時代によっては農民の反乱を意味したり、皇帝を意味したりで、
この辺りの整理も必要です。今後の課題にさせて頂ければと思います。

さて、今後の話も多少しておきます。
後漢時代の平民の服飾については、まだ履物と軍装が残っているので、
まずは、近いうちにこれらについて綴りたいと思います。

さらに、同じカテゴリーの三国時代版、
加えて、富裕層・女性(富裕層・平民)、等々もやりたいと思いますが、
他の話のリクエスト等があれば、そちらを優先します。

一方で、『キングダム』が終わらないうちに、
戦国時代や秦代のそれもやりたかったのですが、

そもそも、後漢・三国時代の服飾自体が、
そのアウトラインをなぞるだけでも(脱線話の尺を差し引いても)
ここまで説明を要するとは想定外でして、
日々苦闘しています。

 

 

【主要参考文献】

林巳奈夫『中国古代の生活史』
篠田耕一『三国志軍事ガイド』
朱和平『中国服飾史稿』
馬大勇『霞衣蝉帯 中国女子的古装衣裙』
周錫保『中國古代服飾史』
高島俊男『三国志 きらめく群像』
華梅『中国服装史』
徐清泉『中国服飾芸術論』
呉剛『中国古代的城市生活』
関西中国女性史研究会『増補改訂版 中国女性史入門』
柿沼陽平『中国古代の貨幣』
高山一彦『ジャンヌ・ダルク』

カテゴリー: 服飾 パーマリンク

2 Responses to 後漢時代における平民男性の四季に応じた装い

  1. こんた のコメント:

    初めまして。
    学生時代の趣味の小説をもう一度やってみたい、でも資料を集め取捨選択し勉強する時間なんてない…と頭を抱えていたところ、こちらのサイトに運よく辿り着く事ができました。
    古代中国の平民の服装の種類は、その名称は?という疑問が見事解決した思いです。
    イラスト付きでなんとも分かりやすい…!
    ブックマークへ登録し、他のページも拝読したいと思います。
    こんなサイトを探していたのです…(笑)
    参考文献まで記して頂いて、勉強になります。ありがとうございます。

    • aruaruchina のコメント:

      こんた 様

      こちらこそ、はじめまして。
      aruaruchinaと申します。

      まずは、御来訪その他の御厚意に対して大変感謝致します。
      一方で、このところ、
      更新のペースが落ちて大変申し訳ありません。

      さて、拝察するに、
      このサイトを立ち上げた時の私と同じような
      興味・関心を御持ちのことで、

      採算はともかく、
      サイトの存在意義を確認出来た心地で嬉しい限り。

      御指摘のように、

      特に戦国から魏晋時代までは
      文学的なコンテンツの題材が非常に豊富にもかかわらず、

      日本語の文献が(私を含めた)素人向けの考証学的な需要に
      必ずしも応えているとは言えない状況だと思います。

      学術書は高いうえに、
      中文の一部の文献は入手が困難という、
      門外漢にとっては泣けて来る事情もあります。

      もっとも、ここ数年で、
      こういう状況が少しづつ変わりつつある兆しも
      あるにはあることで、

      日本の研究者や出版社の成果が
      その種の需要を満たすまでは、
      当サイトの寿命はあるのかもしれません。

      なお、今後の御話も多少しますと、

      主要テーマである戦争以外にも、

      衣類や食糧、物価、商売、農業という具合に、
      当時の社会階層に応じた生活の風景を再現するという試み自体は
      決して忘れた訳ではありませんが、

      (例えば、漢代の一部の社会階層の服飾には触れましたが、
       魏晋時代のそれには未着手です。)

      如何せん作業時間に大きな制約があることで、
      あまり期待せず御待ち頂ければ幸いです。

      最後に、長々と恐縮です。
      小説や構想や執筆、陰ながら応援致します。

      何かしら、
      古代中国関係で調査を御希望の点がありましたら、
      気軽に御知らせ下さい。

      aruaruchina 拝

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。