戦国時代・三国時代の人口と兵力動員の話

 

はじめに

先の記事の追記につき、
何か大層な結論を導く程の話ではなく、かなり大雑把な話になります。

細部は後日の記事で詰めさせて頂ければ幸いです。

さて、国家の動員兵力に生産力や人口の話を絡めると、
家族制度や農業事情まで話が脹らみ
そのうえ実態も定かならぬ部分もあるので

個人的には、正直なところ、
専攻の方でなければ答えが出ないような泥沼に片足を突っ込んだ心地です。

成程、博学でクレーバーな先生方が、

個々の研究論文であればともかく、
通史レベルでは、こういう事務的かつ曖昧な話をしたがらない訳です。

ただ、参考になると思しき話を少し挙げておきます。

 

1、戦国時代の斉の動員事情

 

中国史の大家の故・宮崎市定先生によれば、

戦国時代の斉の首都・臨淄(りんし)の戸数は7万戸で、
一家から3名の壮丁(当時の年齢の限界は60弱)を動員すれば
臨淄だけで21万の兵力を動員出来たそうな。

三国五鄙の制の時代とは違い、
郊外の(鄙)の地域での徴兵も始まっていることで、
たしかに、数字のうえでは数十万の規模は見込めると思います。

一方で、あの時代の小家族は、今の日本の核家族と変わらず、
その状態で全世帯に動員を掛ければ治安や生産等の機能は止まると思います。

さらに、臨淄は中原では、大規模な遺跡が残るレベルの都市で、

特に、臨淄のレベルの都市ともなると場合
大規模な武器・兵器の工場を抱えていることで、
これに充てる労働力も馬鹿になりません。

因みに、中国の武器は、刀剣の類であっても、
余程の高級品でなければ、使い捨てでよく壊れるものだそうで、

諸事、手作業で作る時代のことにつき、
大量に供給しようとすれば、相応の人数を要すると思います。

さらに、戦争を仕掛ける場合は、
第三国の侵略に備えて国内にもある程度兵力を残すことを考えると
実働数はかなり少ないのではないかと推測します。

では、分母の総人口はどれ位か、という話になるのですが、
大変申し訳ありません。これは後日の課題にさせて下さい。

 

後漢末期における人口の推移と北伐の動員兵力

また三国時代の話で恐縮ですが、

戦国時代に明代までの戦争のスタイルが確立し、
この時代も大体はそれを踏襲していることで、
動員についてある程度の指標になるかもしれないと思った次第です。

さて、漢代は確かに開発時代でしたが、
その最末期―三国時代は、一転して、戦乱による凄まじい飢餓の時代に突入したようでして、
統計のスタンダートや正確性はともかく、以下の数字の模様。

157年   戸数1067万・口数5648万

263年頃  戸数 146万・口数 767万

100年で人口が7分の1に減少、言語に絶する話です。

この時代の状況として、
各勢力が戦争と同じレベルの熾烈さで人口の奪い合いを演じ、

(例えば官渡の戦い等)戦地の穀物の価格が暴騰して人肉を喰らったり、
あるいは、ゴースト・タウンが急増するような悲惨な状態が、
時期を問わず各地で多発していることからも、

統計の数字は、ある程度の大勢を反映していると思います。

因みに、この間の時期に行われた諸葛孔明の北伐。

500とか1000の兵力の話がよく出て来る中で、
(因みに、官渡・袁紹軍15万、夷陵で孫権・5万、赤壁は孫権・3万、曹操・不明)
双方、他に類を見ない位の動員兵力でして、その数、魏が20万、蜀が8万。

263年の数字で考えれば、魏は人口450万弱で、蜀は100万弱の人口。

魏の場合は、呉方面にもかなりの兵力を置き、実際に大きい戦役も多発しています。

漢代の戸籍が充実しているのは、
制度上は貴族の土地支配を排除出来たからなのですが、

身分とは別に、土地の集積を始める奴が出て来て貧富の差が開き、
こういう連中が買官して支配下の小作からの搾取を合法化したので、

社会不安が増幅し、黄巾の乱の伏線になりました。

それはともかく、北伐の段階で人口をもう少し多く見積もるにしても、

各国の動員兵力は、人口の数%程度乃至10%未満ではないかと推察します。

時代の事情が異なることで
あまり参考にならないかもしれませんが、
WW2の敗戦国の中で一番動員体制が厳しかった日本でさえ、
大体このレベルです。

因みにあの時代は、フィリピン戦辺りから大分老兵も徴兵されましたが、
年齢や体格の関係で戦地に行かない男性は、片っ端から軍需工場に動員されました。

これとは別に、特に漢代以降、北方の脅威となる匈奴も、

遊牧民族につき工業的な生産拠点が少なかったことで
常に軍需物資と食糧の欠如に悩まされていたそうな。

これらの話が意味するところは、
世の東西を問わず、国が本気で戦争をしようとすれば、

前線で斬り合いをやる人間と同じ位、武器や食糧の生産に充てる人間が必要になる、
ということなのでしょう。

 

【主要参考文献】

宮崎市定『中国史(上)』
飯尾秀幸『中国史のなかの家族』
掘敏一『曹操』
陳寿・裴松之注・井波律子訳『正史三国志5』
金文京『中国の歴史4』
川勝義雄『魏晋南北朝』
沢田勲『冒頓単于』

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