はじめに
今回は、
自身の悪癖が出て
無駄に長くなったので、
先に章立てを入れます。
適当にスクロールして
興味のある部分だけでも
御笑読頂ければ幸いです。
はじめに
1、原文の説く柄の上下の固さ
2、ポイントになる「重」の解釈
2-1、まずは、原文と注釈を
2-2、今風に言えば、ドウシる?!
3、「釈兵」の説く矛と戈
3-1、疑問提起、矛戈の「堅」
3-2、何かと便利な『釈名』
3-3、出土品の形状との比較
3-4、ノーカットで読んでみる
3-5、矛頭の定義
3-6、後漢時代の実物
【雑談1】存外アバウトな百歩?!
【雑談2】 出土品の墓の話
3-7、定義が変遷する?槊
3-8、多様化する矛
3-9、「考工記」より短い夷矛
おわりに (結論の整理)
はじめに
今回の御話は、
『周礼』「考工記」の説く
矛の使い方について。
図解の下書きを描く過程で
またも誤読が
発覚しまして、
それ以外にも、
話の流れで
どこかの大きい国みたく
イロイロと
身の丈に合わないことを
やらかしまして、
結局、ひと月以上も
掛かってしまいまして、
大変申し訳ありません。
1、原文の説く柄の上下の固さ
それでは、早速、
本文に入ります。
図解の方を
見てみましょう。
例によって、
あくまで
参考程度で御願いします。
まず、「刺兵同強」
(刺兵は強きを同じくし、)
ですが、
『周礼注疏』は、
「上下同也」
(上下同じなり)、
柄の前後の硬さが同じ、
と、しています。
想像するに、
『周礼注疏』の解釈に
準拠すれば、
車戦で使うための
3m程度の長物を
一定の数量を
確保する、
という話につき、
或る程度の高さの木の
幹でもない限りは、
硬さにバラつきが
出易いのかもしれません。
2、ポイントになる「重」の解釈
2-1、まずは、原文と注釈を
続いて、「考工記」原文の
以下の部分について。
挙囲欲重、
重欲傅人則密
囲:武器の取っ手
重:増やす、重視する
傅:付く
密:安定する
囲を挙げるに重を欲し、
重は人に傅すを欲し、
すなわち密。
例によって、
書き下しも手製につき
これも参考程度で
御願いします。
この部分については、
サイト制作者は、
図解の如く、
矛を手に執って
突く時に、
囲に力を入れれば
切っ先が安定する、
と、解釈します。
さらには、
『周礼注疏』には、
操重以刺則正
操:持つ、握る
正:まっすぐな様
重んじて握り
もって刺すは
すなわち正
と、あります。
力を入れて握れば
まっすぐ刺さる
という訳でして、
別の言葉に言い換えて
説明しています。
こうやって、一見、
すんなり訳せたように
見えますが、
サイト制作者は
ここで躓きまして。
2-2、今風に言えば、ドウシる?!
言わないと思います。
ただ、最近の言葉では、
バグる、ググる、
といったような言葉を
イメージされたく。
さて、ここで肝心なのは、
「重」の意味。
コレ、古語としては、
座右の字引きによれば、
動詞としては、
大事なものと見なす、
増やす、
ある基準よりも
目方がある
=重い、
といった意味が
あります。
これを受けて、
サイト制作者は、最初、
馬鹿正直に、
形容詞として
物理的に「重い」と
解釈しました。
武器の「囲」に
細工する、
例えば、
コーティングする部分が
重くなる、
といった解釈に
なる訳です。
一方で、
心理的な面での「重」は、
例えば、
人を重用する、
あるいは、
多い情報量の中での
取捨選択として
「重視」する、
というような意味しか
頭にありませんでした。
ですが、ここでは、
これらの解釈から
もう一歩踏み込んで、
手に執った人間が
物理的に力を入れることを
「重」と言うのでしょう。
果たして、
『周礼注疏』には
この部分について、
謂矛柄之大者
在人手中者
矛柄の大いなるは
人手中にあることを
いう
大:強い、激しい、
とあります。
矛の柄の中で
力が入るのは
手で握る部分である、
—と。
教訓としては、
少しでも
日本語として通じないと
感じた部分については、
徹底して
字引きを引きなさいよ、
ということなのでしょう。
さらには、
この「大」も
クセモノで、
ここでは、
「大きい」という意味
以外にも、
強い、激しい、ひどい、
といった、
恐らく、ニホン語からは
想像するのが難しい意味も
あります。
文脈から考えれば、
ここでは
「重」も「大」も同じ、
力を入れる、
という意味なのでしょう。
3、「釈兵」の説く矛と戈
3-1、疑問提起、矛戈の「堅」
この章では、
『釈名』「釈兵」を中心に、
矛と戈の使い方を
比較してみます。
そうすることで、
矛の特徴が
より浮き彫りになります。
さて、前章に因んで、
『周礼注疏』で
少し気になる文言が
ありまして、
それは、
矛と戈は
前後のいずれが「堅」か、
という御話。
以下の部分です。
句兵堅者在後、
刺兵堅者在前
句兵堅きは後にあり、
刺兵堅きは前にあり
句兵:戈・戟
堅:しっかりして
揺るぎない
落ち着く・安心する
刺兵:矛
戈や戟は
柄の後ろの方が
しっかりしていて、
矛はその逆。
その理由については、
以下。
前置きで「釈曰」、
―『釈名』「釈兵」を
典拠とする、
と、しつつ、
戈戟については、
句兵向後牽之
句兵後ろに向かい
これを牽く
矛については、
向前推之
前に向かいこれを推す
と、します。
要は、
柄そのものの固さ
ではなく、
持ち手が力を加えた時に
どの部分が
しっかりしているのか、
という話なのでしょう。
これも、
字引きを引くのを
躊躇したツケでして、
「堅」=硬さ、という
日本語のニュアンスで
足を掬われました。
3-2、何かと便利な『釈名』
一応、
件の「釈兵」についても
触れます。
前置きとしては、
『釈名』は、要は、
万物の字引きです。
一読する分には、
ほとんど
『三国志』の時代の感覚で
万物の語源を辿る
という内容に見受けます。
兵器のみならず、
服飾、車両、地理、
という具合に
何でも御座れで、
諸分野の考証の
足掛かりに
なろうかと思います。
原文に興味のある方は、
以下のサイトにて。
『天涯知識庫』さんの
『釈名』目次
ttp://book.sbkk8.com/gudai/shiming/
(一文字目に「h」を補って下さい。)
『中国哲学書
電子化計画』さん、
同上
ttps://ctext.org/shi-ming/zh
(一文字目に「h」を補って下さい。)
3-3、出土品の形状との比較
話を矛と戈の「堅」に
戻します。
まず、「釈兵」中の
戈の件は以下。
戟、格也、旁有枝格也
戈、句孑戟也
戈、過也
所刺搗則決過所鈎、
引則制之、
弗得過也
格:打ち殺す
枝格:樹木の長い枝
句:まがる
孑:小さい、単独の
ここでは干戟の援か。
過:通る、勝る、過失
ここでは貫通する、か。
決:裂く、嚙み切る
鈎:かぎに掛けて取る
制:断ち切る
戟、格なり。
旁に枝格あるなり。
戈、句孑の戟なり。
戈、過なり。
刺し搗(と)るところは
すなわち決(き)り
過は鈎(か)くところ、
引くはすなわち
これを制し、
過を得ざるなり。
参考までに、
後漢当時の
武器の先端の形状を
見てみましょう。
以下は、
以前掲載した図解です。
時代区分がヘンですが、
後漢時代も
右側に入りますので
念の為。
この図解も、
出土品の明示等で
精度を上げるかたちで
描き直したいと思いますが、
いつになることか。
さて、
「釈兵」の話が
仮に後漢時代のものだと
仮定すれば、
成程、戟の特徴を
よく表していると
思います。
と、言いますのは、
この時代の戟の特徴は、
それまでの戟のような
戈に先端の戟刺を
足したものとは異なり、
刺突系の攻撃に
かなり重心を置いた構造に
なっています。
矛に近い形状。
言い換えれば、
本来、戈の本質
とも言える援が、
幹に対する「枝格」
―この部分が主役ではない、
と表現される辺り、
そうした特徴を
よく表していると思います。
因みに、
当時の戟については、
『中国古兵器論叢』が
詳しいです。
著者の楊泓先生によれば、
こういうのを
『「卜」字形戟』と
称するのだそうで、
洛陽や南昌(江西省)の
後漢時代の遺跡から、
大体このサイズのものが
出土している模様。
一方の戈は、
「句孑の戟」、つまり、
曲がる部分がひとつ。
言い換えれば、
戟刺がありません。
この部分は、
後漢時代の出土品を見ると
逆に分かり辛いのですが、
「考工記」・冶氏為殺矢の
次の部分にある
戟の件との対比だと
思います。
恐らく「〇氏為〇」が
欠けているところ。
で、その件は、
以前の記事でも
触れましたが、
具体的には、
戟の援・戟刺・内が
3本共曲がっている
ものがある、
という御話。
機能性はともかく、
西周時代の出土品にも
こういうものがあります。
一応、図解を再掲。
『釈名』の著者の劉熙が
実物を見たかどうかは
サイト制作者は
分かりませんが、
「句孑」を
「考工記」の文言との比較と
考えると、
少なくとも、
内容は一致していると
思います。
で、肝心の、
戈戟の使い方ですが、
「釈兵」によれば、
刺し切っても
引いて切っても大丈夫、
というもの。
その他、「過」が
何度も出て来るので
紛らわしいのですが、
最後のものは、恐らくは、
失敗を意味し、
引いて切れば間違いない、
ということだと
思います。
3-4、ノーカットで読んでみる
「釈兵」の
矛の部分についても
触れます。
ここでは
無関係な部分が
多いのですが、
矛が主題であることに
加えて、
考証の材料として
オモシロいこともあり、
今回は敢えて
ノーカットでいきます。
長いので、
区切りを付けました。
因みに、
この「釈兵」の
「殳矛」以下の件は、
矛というよりは
「殳」の説明につき、
今回は省きます。
(過去の記事で触れたため)
A
矛、冒也、
刃下冒矜
下頭曰鐏、鐏入地也
松櫝長三尺、
其矜宜軽、以松作之也、
櫝、速櫝也、前刺之言也
B
矛長八尺曰矟、
馬上所持、
言其矟矟便殺也
有曰激矛、激、截也
可以激截敵陣之矛也
C
仇矛、頭有三叉、
言可以討仇敵之矛也
夷矛、夷、常也
其矜長丈六尺、
不言常而曰夷者、
言其可夷滅敵、
亦車上所持也
矛芍矛、長九尺者也
矛芍、霍也
所中霍然即破裂也
冒:覆う
矜:柄
鐏:いしづき
櫝:箱、ひつぎ
速:ここでは、
意味する、早い話、
といった意味か。
尺:後漢時代は
1尺=23.75cm、
魏晋時代は
1尺=24.2cm。
矟:騎兵用の長い矛
矟矟:ほっそりした
激:突く、
激しくぶつかる
截:切る、断つ
常:いつまでも
守り続ける
霍:素早い
霍然:たちまち
A
矛、冒なり。
刃下に矜(きん)を
冒(おお)う。
下頭をいわく鐏、
鐏は地に入るなり。
松櫝は長三尺にして、
それ矜は
よろしく軽くすべく、
松をもって
これを作るなり。
櫝、
櫝を速(まね)くなり。
前刺の言なり。
B
矛長八尺をいわく矟、
馬上に所持し、
それ矟矟(しょうしょう)
として
殺すに便なり。
いわく激矛あり、
激、截なり。
もって
敵陣を激截すべきの
矛なり。
C
仇矛、頭に三叉あり。
もって仇敵を討つべきの
矛なり。
夷矛、夷、常なり。
その矜長丈六尺にして、
常と言わず、
いわく夷とするは、
それ夷は
敵を滅すべきを言い、
また車上に
所持するなり。
矛芍(けき)矛、
長九尺のものなり。
矛芍、霍なり。
中(あた)るところ
霍然として
すなわち破裂するなり。
3-5、矛頭の定義
さて、
まずAの部分ですが、
「釈兵」によれば、
所謂「矛」の字は、
先端の金属部分
―矛頭を意味します。
邪な解釈をすれば、
先端を取れば、
何の棒だか
分からん訳で、
杯型のゴムを付ければ
トイレで使う
ラバーカップ。
むこうの言葉で、
馬桶柱塞
と言うそうな。
んなものは
あの時代にはないと
思いますが、
余分な話はともかく、
件の矛頭―矛、
どうも金属ではなく、
松で製作する模様。
その場合、
柄は軽い方が望ましい
とします。
サイト制作者の
想像ですが、
鉄自体が
貴重な時代につき、
炒鋼法で
鉄製の武器を大量に
確保しようと思えば、
労力はもとより、
大量の鉄鉱石や
木炭を使用することで、
まして
戦争の時代ともなれば、
こういう方法に
頼らざるを得ないのかも
しれません。
で、この櫝=前刺、
言い換えれば、
松製の矛頭は、
長さ3尺とありまして、
後漢時代の尺で言えば
71.25cm。
これは矛頭としては
結構な長さです。
後代の尺を用いれば
さらに長くなります。
さらに、
計測方法を変えると、
これまた違った側面も
見えて来ます。
具体的には、
「考工記」廬人為廬器の
「酋矛」における
全長と「刺囲」の比率から
弾き出す方法です。
当該の件を参考に、
「刺囲」の
全長に対する比率を
8/45とします。
その結果、
周尺換算で
全長360cm余に対して
刺囲は64cm余。
先述の「釈兵」の説く
「長三尺」が
後漢時代の尺で
71.25cmにつき、
両者の差は
10cmを切ります。
後述するように、
この「釈兵」は
「考工記」の内容の一部が
下地になっている痕跡が
あります。
3-6、後漢時代の実物
ところが、
事実は小説よりも奇なり、
でして、
漢代の出土品も
これに近い数字と来るので、
ややこしくなっています。
順を追って
見ていきましょう。
まず、以前の記事で、
殷から戦国時代までの
銅製の矛頭は
かなり長いものでも
大体50cm程度、
という話をしました。
一応、図解を再掲します。
(以前掲載した際、
「常」の換算方法が
誤っていましたので、
今回訂正します。)
対して、
先述の
矛や戈の形状の変遷の
図解にあるように、
漢代の鉄製の矛の2例は、
48.5cmと
65.3cm。
後漢時代の3尺の
71.25cmに対して、
特に、
下の1例については、
結構イイ線行っていると
思います。
これに因んで、
この時代における
矛の状況は詳しくは
分からないのですが、
戟については
先述の
『中国古兵器論叢』が
詳しくありまして。
例えば、
長いものでは、
洛陽の後漢の
光和2年(179)
王当なる人の墓から
1974年に
出土した戟は、
何と、
長さ69cm。
形状は卜字戟。
管見の限り、
戦国時代までの戟で
これ程の長さのものは
ありません。
それどころか、
戦国時代までの
出土品の感覚で言えば、
飛び抜けた長さだと
思います。
ですが、
後漢時代の
戟の出土品はと言えば、
「考工記」にある
戟体の規格からは
逸脱の甚しさ。
「釈兵」の戟の件も
どちらかと言えば、
その「現状」に準拠して
書かれていると
言えます。
サイト制作者は
これを受けて、
「釈兵」の説く
「松櫝」の長さは、
後漢時代の現状を
反映していると
考えます。
ただ、当時の知識人の
こうした時代ごとの
尺の長さの
違いについては、
どこまで正確に
勘定しているのかは、
サイト制作者は
分かりかねる部分が
少なからずあります。
よって、
記事の末尾の結論では、
少なくとも、
1、後漢の出土品の状況
に準拠
2、「考工記」
廬人為廬器の内容に準拠
以上のふたつの捉え方が
ありそうである、
と、書こうと思います。
【雑談1】存外アバウトな百歩?!
余談ながら、
ここで、
古代中国における
数字の捉え方について、
オチのない話を少々。
以前の記事でも
触れましたが、
例えば、
『春秋経伝集解』
―杜預の付けた
『左伝』の注釈では、
昭公二十一年の件で、
殳の長さについて
「考工記」の数字を
そのまま掲載しています。
その他、
『周礼』「夏官司馬」の
大閲の件で、
百歩則一、為三表
百歩をすなわち一とし、
三表をなし、
百歩ごとに標識
(あるいは、単なる杭か)
を立て、
これを3単位設置し、
これを目安に
部隊の前進・停止の
訓練を行う、
という御話。
戦国時代の
『尉繚子』「兵教上」にも、
百歩ごとに標識を立て、
―「置大表三」
百歩ごとに
鶩:全力疾走
趨:小走り
決:白兵戦
という流れの
突撃訓練を行う
件があります。
両者の「百歩」は
時代ごとの尺を
厳密に当てはめれば、
2割以上の差が
あるのですが、
サイト制作者としては、
どうも、
その辺りを
正確に計測している
ようなニュアンスには
取れませんで、
つまるところ、
目先の事務の
ソロバン勘定
であればともかく、
時代ごとの
尺の違いについては、
余程専門性の高い
実務官でもなければ、
結構アバウトでは
なかったのか、
と、すら思います。
とはいえ、
サイト制作者の
感覚レベルの話につき、
妄想はこの辺りで。
【雑談1】・了
【雑談2】 出土品の墓の話
墓についても無駄話を。
黄巾の乱の数年前で、
限りなく
『三国志』の空間に
近い御話。
余談ながら、
「王当」で
検索を掛けたところ、
墓の説明書きのある論文を
見付けましたので、
アドレスを掲載します。
残念ながら
熟読はしていないのですが、
(まずは、
記事を更新してから
読もうと思います・・・。)
どうも、
墓の土地の売買という
生臭い話のようで、
個人的には
非常に興味があるのですが、
それはともかく、
当時の人々は、
墓の中も
現世の生活空間の延長
という発想で、
副葬品として
高級品から空手形まで
実にイロイロなものを
持ち込み、
内壁に
レリーフまで彫るので
オモシロいものです。
こういう話のタネ本は、
以下。(著者敬称略)
柿沼陽平
『中国古代の貨幣』
蘇哲
『魏晋南北朝
壁画墓の世界』
当時の
富裕層・知識人層の価値観に
興味のある方はどうぞ。
で、件の王当さんの墓に
言及した論文は、
以下。(著者敬称略)
江優子
後漢時代の墓券を中心に
ile:///C:/Users/monog/Downloads/KJ00005440895.pdf
1文字目に「f」を補われたく。
(注意!「h」ではありません。)
後、どうでも良い話ですが、
論文の中で
個人的に笑えたのが、
件の王当の墓の欄の
「トラクター工場」の記載。
時代が下れば、
富裕層の墓の上にも
こういうものが
建つのか、と。
いえね、
何の偶然か、
斯く言うサイト制作者の
勤務先の工場の
ほとんど隣の空き地でも、
遺跡の発掘調査を
やってまして、
ヘタすりゃ、
ウチの工場の地下にも
何が眠ってんだか。
当時の産廃の
投棄場にもなっていれば
制作者としては笑えます。
さらに、発掘現場の隣の
大通りの反対側では
何をやってるのかと言えば、
それまでは
田んぼや畑ばかりで
吹きっ晒しの場所に、
ここ数年で
大型モールだの
カー・ディーラーだのが
乱立し、
沿道の開発が
急ピッチで進む有様。
古代遺跡が
点在する地域につき、
先程の洛陽の話と、
多少なりとも
似たような雰囲気を
感じなくもありません。
3-7、定義が変遷する?槊
Bの部分について。
「矟」は、
座右の字引き・
『漢辞海』第四版
によれば、
騎兵用の長い矛、
「槊」(さく)に通じる、
と、ありまして、
「槊」は長い矛、
としています。
さらに、
篠田耕一先生の
『武器と防具』中国編
によれば、
「槊」は
3世紀以降に登場する
重装騎兵が使う
長い槍としています。
恐らく、曹操が
袁紹は300騎持ってる
と嘆いた騎兵かと
思います。
一方で、8尺は、
後漢時代の尺に
換算すると、
190cm。
これで
敵陣を切り裂くんですと。
ですが、
どうも、
話が矛盾していますね。
例えば、
春秋時代の出土品の
3メートルの車戟に
比べると、
日本の戦国時代の
騎馬武者が持つ、
短くて取り回しの良い
騎乗槍や、
さらに時代が下って
騎兵の持つ
四四式騎銃のような、
歩兵用の小銃に比べて
銃身の短い
カービン銃のような
イメージです。
で、サイト制作者の
知るの限り、
これに近いものとして
思い当たるのが
「鏦」(しょう)。
小さい矛、
という意味でして、
『孫臏兵法』の
「陳忌問塁」に出て来ます。
陣地を守る際、
弓弩とは別に、
前から順に、
撒き菱、遮蔽物(車両)、
盾、長兵器・短兵器の順に
敵に備えよ、
という文脈で使われる
武器でして、
長兵器の中に、
この「鏦」が入ります。
仮に、「釈兵」の説く槊が
こういう類の
短い矛であるとすれば、
今のところ、
サイト制作者は、
重装騎兵の登場によって、
言葉の意味が
変遷したのではないか、
と、想像します。
この辺りの
経緯については、
サイト制作者としては
理解不足につき、
詳しい話は
後日とします。
3-8、多様化する矛
次は、Cの部分について。
ここはBの部分の延長で、
矛にも色々ありますよ、
という御話。
仇矛・夷矛・芍矛と
他に3種類あり、
ざっくり言えば、
仇矛は三又、
これで
仇敵を討つのですと。
あるいは、
機能ではなく、
礼の話かもしれません。
夷矛は車戦用、
芍矛はヨクワカラナイ。
あくまで想像ですが、
尺の長さや
「破裂」という
エグい描写から、
イメージとしては、
恐らく、
柄や矛頭の直径が
大きいことで、
大口径の銃や
ショットガンで
モノを打ち抜いた時
のように、
突いた対象が
原型を留めなくなる類の
武器かしらん、ゾ~ッ。
(説明になっていない!)
3-9、「考工記」より短い夷矛
さて、この中で、
「考工記」の矛に
関係ありそうな
夷矛について
少し突っ込みますと、
まず、
「常」と「夷」の話は
武器の機能的な話では
ありません。
次いで、
柄の長さが6尺、
これを後漢時代の尺に
換算すると、
142.5cm。
さらに、
矛頭を先述の3尺と
仮定すると、
71.25cm。
〆て計9尺=
213.75cm。
周尺に換算すると
さらに短くなりまして、
やはり、
短いと言わざるを
得ません。
「考工記」原文の
「夷矛三尋」
(周尺:432cm)
との開きが気になります。
で、恐縮ですが、
サイト制作者としては、
現段階で
この空白部分を
埋める材料を
持ち合わせていません。
これも、
逃げ口上の常套句ながら、
今後の課題と
させて頂きます。
『周礼注疏』にしても
『釈名』にしても、
結局は、
西周時代と後漢時代の
感覚の違いの理由を
探る作業になるのかしらん、
と、改めて思った次第です。
おわりに
そろそろ、
例によって、
以下に、
今回の記事の要点を
整理します。
1、「考工記」原文によれば
矛の柄の上下の硬さは
同じである。
2、一方で、
『周礼注疏』によれば、
持ち手の
力加減によって
武器の状態が変化する。
力を入れれば
切っ先が安定して
対象に刺さり易い。
3、2、について
さらに言及すれば、
矛は前に押すように
突くので、
柄の前の方が
しっかりしている。
戈戟はその逆で、
後ろに引きながら
斬るので、
柄の後ろの方が
しっかりする。
4、日本人の漢文解釈の
コツのひとつとしては、
時には、
品詞区分に
捉われないことも
必要である。
5、『釈名』「釈兵」の説く
戟の形状は、恐らく、
漢代の「卜字戟」を意味する。
6、「釈兵」の説く
矛頭の長さ3尺は、
後漢時代の状況を
反映していると思われる。
一方で、
「考工記」廬人為廬器
の説く矛頭の長さにも
かなり近い。
少なくとも、
上記のような
ふたつの捉え方があると
考えられる。
7、騎乗用の矛である
槊の長さも、
「釈兵」が書かれた
とされる後漢と
その後の時代で、
かなり変遷している
可能性がある。
8、「考工記」と
「釈兵」の説く
夷矛の長さの
違いの理由は、
現段階では
サイト制作者は
理解出来ていない。
さて、見苦しい
言い訳ですが、
今回の更新が遅れた
最大の理由は、
記事を書く流れで
「釈兵」に
手を出したことです。
いずれは
やることになるのですが、
戦国時代以降の状況が
史料で使用例を確認する
といったレベルで
分かっていない中で、
その辺りの変遷について
適当に摘まみ喰いを
しようとしたのが
祟りました。
結果的に、
段取りの悪い
調べ事となり、
誤読の後始末よりも
時間を喰いまして、
大変恐縮しております。
さらには、
後日、
調べ事を進める過程で、
その粗の後始末も
やることになるかと
思います。
なお、次回は、
予定を変更して、
今回出来なかった
『左伝』における
矛の件について、
少々綴ろうと思います。
使用例という程
具体的な描写では
ないのですが、
何かしらの参考には
なろうかと。
【主要参考文献】
『周礼』(維基文庫)
鄭玄・賈公彦『周礼注疏』(国学導航)
劉熙『釈名』(天涯知識庫)
聞人軍『考工記訳注』
楊泓『中国古兵器論叢』
周緯『中国兵器史稿』
篠田耕一『武器と防具 中国編』
稲畑耕一郎監修『図説 中国文明史』3
戸川芳郎監修『全訳 漢辞海』第4版
香坂順一編著『簡約 現代中国語辞典』、