はじめに
今回は、前漢斉王墓より出土した
札甲の図解の2回目。
前回の周辺環境の網羅に
引き続いて、
今回は、
この鎧の構造に迫ります。
残念ながら、
想像の部分も多いのですが。
1、鎧の全体図
1-1、鎧の類型と裏当て
早速ですが、
以下が全体図です。
復元品の写真は、
例えば、
百度一下さん等で
「斉王墓 札甲」と
画像検索を掛けると
出て来るのですが、
実に艶やかなものです。
さて、全体の形状としては、
垂縁(裾)・肩(けん)甲付きの
魚鱗甲タイプの札甲、
と、言ったところでしょうか。
また、前回触れた
劉永華先生の類型で言えば、
「脇閉じ式」に相当し、
着用者から見て
右側の鎖骨1箇所と
脇2箇所を紐で留める
仕組みとなっております。
因みに、この紐は
絹だそうな。
また、裏当てや縁の部分は、
前回触れたように、
織物で包まれた裏当てを
鎧の裏側に宛がいます。
サイト制作者は、
図にあるように、
織物の縁が
鎧の甲片の縁を覆うものと
理解しています。
図の上部の
コーティングの構造図は、
大変恐縮ですが、
サイト制作者の想像図
ということで御願いします。
それでは、以下、
鎧の上の部分から
各部位ごとに
細部まで見ていくこととします。
1-2、肩部
所謂、披膊(はく)と呼ばれる
部位です。
身甲(胴体の部位)の肩部と
肩甲の双方を
「披膊」と呼称して
良いものかは
分かりかねますので、
ここでは、肩部と肩甲は
別の部位として扱います。
そのうえで、
まずは、(身甲の)肩部について
触れます。
まず、肩部の甲片は
横長の甲片で編まれ、
枚数は横4列×縦11・12段。
着用者から見て
右側が1段多いのは、
着脱のための
開口部の遊びを
確保するためだと思いますが、
確証はありません。
復元写真では、
鎖骨部分は
左右平行になっていました。
1-3、肩甲の甲片の装飾
さて、件の披膊―肩甲について。
その甲片の形状は、
身甲(胴体部分)と同じものを
使用しています。
開口部を
重点的に描きたかったことで、
遠近法の関係で
各部位ごとの
甲片の面積の比率が
かなり歪(いびつ)になり、
その旨が
分かり辛くなったことで
大変恐縮です。
さて、甲片の装飾は、
大別して3種類あります。
まず、アレな図中の
黄土色のものは、なんと、金片。
―とはいえ、
時代柄、金と同義であった
銅の可能性もあります。
決して馬鹿にした話ではなく、
銅自体が貴重であった、
という御話です。
そして、白色の装飾の甲片は
銀片です。
これも、ホンモノの銀か否かは
分かりかねますが、
少なくとも、
それを模した貴重金属だと
思います。
で、この金片・銀片を
甲片の中に菱型に描き、
その縁を朱色に色付けしたか、
あるいは朱色の紐で
縁取るというもの。
この辺りは、
文献やネット等の
復元品の写真が小さいこともあり、
残念ながら詳細が分かりません。
そして、3種類目の甲片は、
紐で装飾の施されたものです。
ふたつの菱が上下にずれた形で
編まれたものです。
『中国古代甲冑図鑑』の
展開図に描かれていた甲片を
模写すると、
以下のようになります。
劉永華先生によれば、
これ自体は装飾に過ぎず、
実用的な機能はないとのこと。
甲片の穴は、
接合と装飾で
共用しているものと
想像します。
続いて紋様ですが、
まず、金片・銀片の紋様が
規則的な配列で
大きな菱型を形作っています。
そして、その間隙を
二重の菱の甲片が埋める
というものです。
また、この紋様は、
背面にも続いていまして、
肩部を除いた身甲部位の
上から9段目以降より
施されています。
1-4、甲片の繋ぎ方の基本
この部位の最後に、
甲片の繋ぎ方について
触れます。
その前に、
どの部位であれ、
古代中国における
甲片の繋ぎ方には
基本的な作法があります。
これは楊泓先生の請売りで、
以前の記事でも触れましたが、
一応、サイト制作者の
忘備を兼ねて、
復習することとします。
まずは、以下のアレな図を
御覧下さい。
これは、秦代の歩兵用の鎧で
有名な咸陽の兵馬俑の模写です。
特に、図中の上の真ん中の
作り方の手順を
注目して頂きたく思います。
まずは、鎧の前面の中心の
甲片を設定し、
左右に甲片を繋いで
横一列の甲片を作ります。
そして、これが身甲であれば、
環状に繋ぎます。
さらに、こうして
横一列に繋いだ甲片を
複数本用意し、
それらを縦に繋ぐことによって
各々の部位に
仕立てる訳です。
その際、甲片を固定性にして
堅牢にしたければ
上段の下辺を外側に出し、
可動性を持たせたければ、
その逆、つまり、
上段の下辺を内側に、
下段の上辺を外側にして
上下を接合し、
鎧の外側に縅を施します。
そして、幸いなことに、
今回の斉王墓の札甲も、
基本的な甲片の繋ぎ方自体は
この鎧と大差ありません。
1-5、可動性のない肩甲
それでは、この流れを受けて、
披膊の甲片の
繋ぎ方に入ります。
これも、上記の法則通りの
繋ぎ方で、
上段の下辺と
下段の上辺を繋ぐという
可動性のものです。
図解すると、
以下のようになると思われます。
実線は一番外側に来る
甲片の部分、
破線はその内側に隠れる部分です。
そして、緑の枠の部分の穴は、
その左や上の甲片の穴と
重複しています。
また、残念ながら、
甲片の大きさは分かりませんで、
図中の数字は
相対的な比率です。
で、このような形で、
1段当たり
17枚の甲片を要し、
これが10段で
構成されています。
『中国古代甲冑図鑑』の
展開図に添えられた
1cm四方の甲片の図に
定規を宛てて
ミリ単位で測るという
極めて原始的な手作業につき、
残念ながら、
厳密なものではありませんが、
幸か不幸か、
復元品の甲片も、
その大きさや
上下左右の配列には、
列を崩さない程度に
少々バラつきがあります。
さて、この部位ですが、
甲片の上下の配列は、
身甲のそれとは異なり
千鳥(ジグザグ)ではなく、
素直に真上・真下の甲片と
繋がっています。
この辺りは後述します。
また、面倒なことに、
甲片の繋ぎ方自体は
可動性を持たせるものですが、
紐が甲片の表側に来る
縅(おどし)にはなっておらず、
高橋工先生によれば、
可動性はありません。
その理由として、
織物に包まれた
皮革製の裏当てが
あるからです。
これはサイト制作者の想像ですが、
甲片を大きく湾曲させるために
こういう繋ぎ方をしたのかも
しれません。
2、身甲の甲片の繋ぎ方
ここでは、
身甲部位について触れます。
鎧の類型は脇閉じ式、
肩部や甲片の装飾は先述の通り、
ということで、
詳述すべきは
甲片の繋ぎ方になろうかと
思います。
早速ですが、
文献の内容や
復元品の写真からして、
サイト制作者は
以下のような繋ぎ方を想像します。
劉永華『中国古代甲冑図鑑』、楊泓『中国古代兵器論叢』 高橋工「東アジアにおける甲冑の系統と日本」より作成。
鎧の裏側の
紐の繋ぎ方が分からないので、
残念ながら正確なことは
言えないのですが、
復元品の写真の
鎧の表側における
紐の縫い目の位置や、
先述した甲片の繋ぎ方の
法則から言えば、
図中の緑の枠の部分が
接合部分だと思います。
無論、まずは、
横列―つまり、
甲片の両側の上下の穴で
固定したうえで、
横一列になった甲片同士を
縦に繋ぐ手順となりまして、
その際、
上下(斜め下)の
接合部分の穴の位置が
若干横にずれていることで、
この辺りは多少、
遊びになっている、
―言い換えれば、
緩くなっているものと
想像します。
実は、サイト制作者自身、
最初にこの図を
描き起こした時に
各々の甲片の
穴の位置がぴったり合わず、
どのように理解したものかと
悩みましたが、
楊泓先生の説く
先述の鎧の構造を思い出し、
以上の結論に至りました。
で、このような繋ぎ方で
1段当たり
上段66枚、
下段67枚の甲片を
ジグザグで編みます。
その際、
前面の中心の甲片が突起し、
背面の中心の甲片が
凹むのですが、
上下の甲片を
ジグザグに編むことで、
当然ながら、
中心の甲片も一直線にはならず、
自ずとジグザグになります。
魚鱗甲の構造を把握するうえで
面倒な部分のひとつだと思います。
それはともかく、
この繋ぎ方で、
胸部5段と腹部15段で構成され、
その中で、
最上段と一番下の段の甲片には
装飾がありません。
また、ジグザグで編まれて
下段が1枚多くなる代わりに、
左右両端の甲片を
各々の横の半分を端折ることで
上段と幅を合わせています。
3、垂縁
3-1、全体図と重要箇所
最後に、裾部分に相当する
垂縁について触れます。
これも、最初に図を見て頂いた方が
分かり易いかと思います。
これは、鎧の前面中心部分の
身甲の一番下から
垂縁の下辺までの図解です。
これも残念ながら
サイト制作者の
想像図に過ぎません。
その意味では、
裏側の紐の結び方迄は
分からず、
甲片の配置も
正確ではない
かもしれませんが、
甲片の位置関係や縅の位置は
これで間違いないかと
思います。
一方で、
多くの甲片が
混在することで、
それを再現しようとして
薄い配色が多くなり、
結果として
見辛くなり大変恐縮です。
さて、この図のポイントは、
大別して以下の3点。
1、身甲と垂縁の接合
2、垂縁の甲片同士の接合
3、垂縁の縅の位置や縫い目
それでは、
各のポイントの説明に入ります。
3-1、複雑な構造の接合箇所
まずは、1、身甲と垂縁の接合。
実は、ここが本稿でも
一番難解な部分につき、
サイト制作者の想定する
手順を追って
綴ることとします。
まずは、先に挙げた
怪しい図面の一部の
配色を変えました。
まず、甲片の構成について。
身甲の一番下の段の甲片があり、
図中の赤とオレンジの部分です。
これは先述のように、
横の繋がりが軸で、
左右の甲片は
中央側の片側が隠れています。
次に、これらの甲片の
表側に来るのが
垂縁の最上段の甲片です。
図中の青と水色2種類の部分。
これも、身甲の甲片と同じく、
左右の甲片の中央側が隠れます。
で、この身甲と垂縁の甲片の
接合の際、
ポイントとなるのが、
各々の部位のどの甲片が
中心となるのか、です。
結論から言えば、
図中の一番濃い配色の甲片です。
つまり、真ん中の赤色の甲片と
その右下の青色の甲片、
と、なります。
で、この両者を
縅で繋ぐ訳ですが、
この繋ぎ方が少々複雑です。
まず、身甲の甲片の下辺には
縦にふたつ穴があります。
この上側の穴と、
垂縁最上段の
上辺の左側(中央寄り)
を繋ぎます。
次いで、下側の穴は、
位置関係からして、
垂縁最上段の中心の
左側の甲片の
上辺の右側(中央寄り)
を繋ぐものと思われます。
断定出来ないのは、
鎧の甲片の裏側まで
見ることが出来ないからです。
このような要領で、
身甲の甲片の左側も
同じ手順で繋ぎます。
因みに、右側については、
先程の手順と
左右が逆になります。
具体的に言えば、
身甲下辺・上部の穴と、
垂縁最上段・
右側(外寄り)の穴とを
繋ぎます。
また、身甲下辺・下部の穴は、
垂縁最上段の
中央のすぐ右側の甲片の
上辺・左側(中央寄り)と
繋ぎます。
要は、身甲下辺の
1枚の甲片から紐を2本出し、
その真下の左右の甲片を繋ぐ、
―という仕組みです。
3-2、垂縁の甲片と縅
次いで、
2、垂縁の甲片同士の接合、
について触れます。
先程の説明が長くなったことで、
垂縁の図を以下に再掲します。
この部分ですが、
甲片の配列は
披膊の甲片と同じパターンで、
方形の甲片の横列を
そのまま真下の甲片に
繋げます。
ただし、繋ぎ方が
少し変わっていまして、
これは後述します。
また、一番下の甲片は
少々縦長のものを使います。
当然ながら、
その下辺には穴がありません。
最後に、
3、垂縁の縅の位置や縫い目、
について。
ここが、披博の甲片の繋ぎ方との
最大の違いです。
具体的には、縅を用います。
先の図中の灰色の線でして、
分かり辛くて恐縮です。
要は、身甲下辺から出た糸が
各段の垂縁上端の穴を
結ぶのですが、
その際、
ふたつのポイントがあります。
1、紐が鎧の外側を通る。
2、垂縁の甲片の下端と
真下の甲片の上端の穴の位置が
重複する。
1、は、縅たる所以。
縦糸が鎧の表側と通る形で
垂縁の上辺から下辺までを繋ぎ、
鎧の裾に可動性を持たせます。
そして、2、の甲片の配列を、
1、の方法で繋ぐという訳です。
もっとも、前回触れましたように、
直立の姿勢であれば、
裾は広がらない
円筒形なのですが、
肝心な裾がどれ程広がるのかは、
非常に残念ながら分かりません。
おわりに
最後に、今回の記事の要点を、
整理します。
加えて、大変申し訳ありませんが、
この鎧に附属すると思われる
冑(兜)については、
近いうちに別に記事を用意します。
1、各部位共、甲片の繋ぎ方は、
横一列に繋いだものを
縦に繋ぐという構造である。
2、披膊・垂縁の甲片は、
垂直に編まれている。
ただし、垂縁の縦列の接合は
縅で行われ、
可動性が付与されている。
3、身甲と披膊の甲片は同じで、
甲片の装飾は3種類あるが、
装飾自体に実用性はない。
また、これらを規則的に配置し、
大型の菱を形作り、
背面にも同じ紋様が並ぶ。
4、身甲の甲片は
上下でジグザグに
編まれている(魚鱗甲)。
また、ジグザグの甲片の多い段では
左右の甲片の半分を削ることで、
上下の幅を調整している。
5、身甲と垂縁の接合部は、
ひとつの身甲から
左右に糸を出すことで
下段の甲片を繋いでいる。
【主要参考文献】(敬称略・順不同)
劉永華『中国古代甲冑図鑑』
楊泓『中国古兵器論叢』
高橋工「東アジアにおける甲冑の系統と日本」
稲畑耕一郎監修『図説 中国文明史 4』
篠田耕一『武器と防具 中国編』