はじめに
今回も前回同様、
『周礼』「盧人為盧器」の
図解の一部を
描き上げたことで、
とはいえ、
その実態は
手直しに近いのですが、
その説明を少々。
1、細かい説明は注疏が中心
それでは、早速、
描き上げたものを
掲載します。
例によって、
内容や書き下し等は
参考程度で
御願いしたく。
さて、図解の下半分は
前回に掲載したもので、
今回は、
上半分の御話となります。
要は使い方の話でして、
ほとんどが
注釈部分の図解です。
以前の記事にも書いた通り、
恐らく、
『周礼』の筆者と
鄭玄等とは
見ているものが
少々違っているかと
思うのですが、
この図解の部分では、
本質的な違いは
なかろうと思います。
個人的な感覚としては、
少なくとも戦国時代までは
この内容が通用したと
想像します。
後漢・三国時代以降は、
戈頭・戟体の形状が
刺突向きになるので、
浅学なサイト制作者
としては、
コレが通用したかどうかは
正確なことは言えませんで、
さらに調べる必要が
あります。
ただ、後漢から唐にかけて
書かれた『周礼注疏』が、
恐らくは、
当時の形状であろう
戈について、
図解にあるようなことを
説いているので、
強ち的外れでもないようには
思います。
2、前後で異なる硬さ
ここでは、
具体的な使い方について
触れます。
まず、「椑」の話ですが、
柿の季節とはいえ、
柿ではなく、
柄の形が楕円形、
という御話。
先日、職場の年配の方から
関西の外れの某所の
美味しい柿を頂きまして、
忘れようとした誤読の話を
思い出しました。
で、『周礼注疏』によれば、
引っ張る武器につき
柄の下の方が硬い、
と、ありますが、
これについては、
サイト制作者の
知る限りでは、
残念ながら、
実例で確かめる術が
ありません。
想像するとすれば、
例えば、
「考工記」廬人為廬器
にあるような、
矛や殳宜しく
取っ手を何等かで
コーティングする
「囲」を意味するのか、
もしくは、
上下で硬さの異なる枝を
わざわざ選んで
製材するかしら。
【雑談】柄の硬さと戦場リアル
参考までに、
以前に何度か紹介した話を
挙げます。
柄の話をする度に
思い出すのですが、
『周礼』の時代からは
かなり歳月が下るにしても、
『周礼注疏』の
鄭玄没後間もない話として、
『三国志』「魏書明帝紀」、
要は曹叡の伝記に、
陳倉で諸葛亮を破った
郝昭を紹介する話が
出て来ます。
さて、この御仁は
叩き上げの軍人でして、
戦場で
何をやったかと言えば、
以下。
他人様の墓を
荒らしたうえで、
取其木以為攻戦具
その木を取り
攻戦の具となし、
―と、墓標を武器の柄にした、
という訳です。
時代を遡ること
少なくとも春秋時代以来、
戦争で食糧に事欠けば
人様の肉ですら
口にするのを厭わない
社会につき、
有事に際して
墓標を失敬する位は、
驚くには値しないの
かもしれません。
あまり関係ないのですが、
二ホンとて、
国定忠治の墓の墓石を
博奕の縁起物として
削り取る人が
多かったので、
墓石に周囲にフェンスが
張られたんですと。
それはともかく、
ここでポイントとなるのは、
墓標でも武器の柄に代替出来る辺り、
実情としては、
どうも、
上下の硬さの異なる製材
という線は怪しいか、
仮にあったとしても、
有事には
場当たり的な補充で
済し崩しになっていたことが
往々にしてありそうな。
4、日中で異なる「細」の解釈
次に、柄を持つ時のコツですが、
結論から言えば、
両手の間隔を
短くすることです。
前回で触れたように、
原文である
『周礼』
「盧人為盧器」には、
撃兵同強、擧圍欲細、
細則校
撃兵は強きを同じくし、
囲を挙げるに細を欲し、
細はすなわち校。
と、あります。
文字の解釈には饒舌な
『周礼注疏』にも、
「細」の解釈については
言及していません。
さらに、現代語訳である
『考工記訳注』にも、
若手持之処稍細、
就握得牢固
もし取っ手が
やや「細」であれば、
握りが牢固になる、
という訳です。
つまり、「細い」は、
古語も現代語も
恐らく同じ意味。
しかも、
当たり前の感覚で
使用している言葉
と来ます。
実は、ここが、
サイト制作者が躓いたポイントです。
ここで、視点を変えて、
実物の柄の太さを
見てみると、
数少ない実物の戟には
柄が垂直でないものが
ありません。
そのうえ、先には、
『周礼注疏』が
柄の前後で硬さが異なり
後ろの方が硬い、
と、説いてまして、
これらの話を整理すると、
柄の下の部分の
引っ張る方が
細くて硬い、となり、
殳どころか戈も
野球のバットのような形状
ということになり、
なんだかヘンだなあ、と、
なるかと思います。
と、なれば、
「細」の解釈は、
日本語と中国語の違いに
起因する
他の意味を考えた方が
良さそうだ、
と、考えました。
果たして、
座右の中国語の
古語・現代語の字引きの
双方にも、
細い以外に、
「幅がない」=短い、
という意味がありました。
「細」の意味は、
日本語と中国語で
異なっていた、
という訳です。
確かに、
柄の太さよりも
両手の間隔の方が、
武器の機能としては
自然な解釈かと思います。
野球で言えば、
バットで構える際、
バントとヒッティングで
両手の間隔が異なるのが
分かり易いかと
思います。
もっとも、
長物を振り回す時には、
両手を上下で
くっ付けませんが。
後、こういう、
サイト制作者の
昭和末の少し入った
生半可な野球脳が
解釈の癌になっている気が
しないでもありません。
で、またも誤読ということで、
前回の殳の図解も、
この内容で
描き直す必要があります。
ヘマが続いて
大変恐縮です。
【追記】
その改訂版がこちら。
以前に掲載したものとの
違いは、
以下の2点です。
1、柄の太さが上下で同じ。
2、中段右の図解の説明等を
内容に合わせて変更。
【追記・了】
おわりに
今回も、
もっともらしい結論は
ありません。
敢えて言えば、
細=短で
チュゴクゴムツカシアルヨ!
という、
身勝手で投げ遣りな話位か。
サイト制作者の
調べ方が悪いのだと
思いますが、
大体の内容を
一通り整理した後でも、
当該の文章を読み返して
図に描き起こす度に、
疑問や誤読が
ボロボロ出て来るので
本当に困ったものです。
【主要参考文献】(敬称略・順不同)
『周礼』(維基文庫)
鄭玄・賈公彦『周礼注疏』(国学導航)
陳寿作・裴松之注釈『三國志』(維基文庫)
聞人軍『考工記訳注』
楊泓『中国古兵器論叢』
周緯『中国兵器史稿』
戸川芳郎監修『全訳 漢辞海』第4版
香坂順一編著『簡約 現代中国語辞典』、
いつも楽しく読ませていただいています。
ここでページトップの図解と文章について、自分なりの見解を述べさせてもらいます。
最初の文章「句兵無欲弾・・・」ですが、これは「戈のようなフック系の武器は、振り回さず小さく引っ掛けるようにして攻撃する」つまり、熊手を使って落ち葉をかき集めるような動きで敵の首を引っ掛けるのが正しい使い方で、イラストのような大振りはしないことだと思うのです。というのも、次の文章にあるように「句兵は後ろにこれを牽く」、つまり戈の攻撃力は遠心力による衝撃ではなく、引き斬ることによる切断によって生じるからです。
また、この文章から、次の「故に堅きは後ろにあり」は、おそらく石突きまたはそれに類する柄の最後部の構造を指しているかもしれません。武器を後ろに引くので、柄の末端が後方の兵士などに当たることがあるので、柄の保護が必要と言うことなのか、もしくは、最後部をやや広くして指掛りを付けることで、手がすっぽ抜けないようにしていたのかもしれません。
持ち手の幅についても、振り回す必要が無いなら、幅を短くしてリーチを伸ばし、同時に引きやすくした方が有利です(自分でやってみると分かりますが、持ち手の幅を広げると振り回しやすくなりますが、引く距離や力が上手く入りません)。
最後に、戈のような武器は、ほぼ確実に盾を持った敵を想定していると推測します。盾の裏側に回り込んで敵の首や肩に引っ掛けて引き斬る戈は、槍や剣よりもはるかに敵の防御を掻い潜れたのではないでしょうか。
御来訪及びコメントを頂き感謝します。
まずは、更新が滞っており大変恐縮です。
1、 さて、「句兵欲無弾」ですが、まさに御指摘の通り、
弾く=振ってはいけない、です。
図解では、もう少し、
やってはいけないことを強調すべきだったかと
後悔しています。
2、 次いで、柄の先端・末端の硬軟ですが、
私自身、残念ながら、理解出来ていません。
理屈で言えば、引っ掛けて引っ張るために
重心を掛ける部分に力を入れ易くする工夫かと思います。
例えば、御指摘のように、「最後部をやや広くして指掛りを付ける」といったような工夫、
それこそ、布で柄を太くする「囲」のような仕掛けがあったのかもしれません。
ただ、目下、出土例で確認出来ていないので、これ以上のことは言えませんで、
史料や出土例をさらに見ていこうと思っております。
3、「戈のような武器は、ほぼ確実に盾を持った敵を想定していると推測」についてですが、
出土品や『左伝』を読む限りでは、
車戦と歩兵戦の双方で状況が異なります。
盾を持ち出すには後者で、
例えば、『左伝』には、
実際の戦争で戦車を短戈と盾で迎撃する話や、
要人を捕える命令を帯びた兵士5名全員が
短戈と盾を所持していた、という話が出て来ます。
春秋時代は通説通り、車戦と歩兵の集団戦の過渡期でして、
少なくとも前6世紀辺りまでは、
例えば、『司馬法』が説くような、
末端の戦列歩兵が大手を振って長物を組み合わせて運用するような合理性があったとは
言い切れない部分があります。
剣についても、『周礼』「考工記」には、
士分の中で身分ごとに茎(なかご)の長さについて規則があります。
一番下の下士に至っては、柄の長さの3倍とします。
こうなってくると、
所持出来る武器の選択肢も限られていた可能性を考える必要もあろうかと思います。
要は、社会規範と軍事的な合理性との葛藤が見え隠れしており、
その辺りについて、私自身が分かっていない部分が大きいことで、
今後の課題となる部分が大半で悪しからずです。
要領を得ない話で恐縮ですが、まずは御返事迄。