はじめに
後漢の部隊編成の話に入る前に、
三国志・正史に出て来る部隊運用の話を整理する過程で
色々と思うところがありまして、今回はその話。
なお、グロい話もするので、食事中には読まれないことを御勧めします。
三国志のような戦争群像劇の主役と言えば、
まず連想するのは君主や軍師、花形武将になるのでしょうが、
正史のような型にハマった人物評を読んでいると、
個人的には、かえって人間観察よりも、
当時の世の中の事情の方に目を奪われたと言いますか。
「正義」の軍隊の「補給」と食糧難
結論から言えば、エゲツない世の中だと思います。
統計上とはいえ人口が100年で数分の一に減るのも分かります。
とにかく、「兵匪一体」そのものの時代でして、
どのような正義の軍隊であろうが、
連中が通った後にはぺんぺん草も生えません。
戦場となった地域は食糧の価格が暴騰し、
逃げられる者は逃げ、
そうでない者達は人間同士で喰い合いを始めるような惨状が頻発します。
特に傑作なのは、董卓討伐の挙兵。
コイツの無法も大概ですが(識者によればかなり誇張もあるようですが)、
負けず劣らずなのは、
エンショーだのソンケンだのソーソーだのの諸侯様。
何十万という軍隊が河内と滎陽に集結したため、
現地で食糧の調達が出来ずに
諸侯がこぞって略奪を始めたことで、
やはり、共喰いが始まり、
当然逃亡もあったでしょうが、結果として住民は半減したそうな。
曹操が屯田を始めたのは、
当時の諸侯が1年先の食糧計画すら持たずに盗賊化する惨状を
目の当たりにしてショックを受けたのも一因だそうな。
張繡を攻めた時、
愛馬が田を荒らしたので首の代わりに髪を切ったという故事も、
住民の食糧難がそれだけ深刻だったことの裏返しでしょう。
参考までに、当時の刑罰のひとつに髠刑(こんけい:髪を切る刑)というものがありまして、
楊沛という官僚(厳正で有名な人)が、督軍といさかいを起こし、
これの5年の刑を喰らいました。
また、こういう話も含めて、19世紀頃までの中国人の感覚としては、
こういう形で髪を切るのはかなりの恥辱です。
喧嘩や戦争での白兵戦は、髪の掴み合いでもありました。
城壁があっても喰い詰める
では、郊外ではなく城市に住めば安全かと言えば、
籠城戦にでもなれば、大抵は2~3ヶ月の籠城で食糧が尽き、
これまた共喰いが待っています。
例えば曹操の袁尚の本拠地の鄴攻撃や、司馬仲達の襄平攻撃等では、
2ヶ月から半年程度の籠城戦で大量の餓死者が出ており、
その意味では、無駄な籠城戦に付き合わされる側は本当に悲惨です。
さらに悲惨なのは、
県や郡の城郭を包囲する連中は、
正義の(ホントかよ)劉玄徳様の部隊のような
多少なりとも軍規のありそうな軍隊であればともかく、
有象無象の喰い詰めた盗賊団の方が圧倒的に多かったということです。
落城の後に何が待っているかは、想像に難くありません。
後述する李カクの軍隊なんかひどいもので、
無数の天子の側近を手に掛け、後宮漁りまでやりました。
三国時代の「盗賊」の素描
さて、当時の知識人のように
非常に博識なれど口も悪い高島俊男先生によれば、
中国では、ケチな犯罪者ではなく、
大人数で武装蜂起する連中を「盗賊」と呼ぶそうな。
ヘタすれば、こういう集団が国を造るケースもあった訳で、
事実、この時代にも、
そういう御身分で将軍や皇帝を僭称した人が多数いました。
劉備に徐州を進呈した好々爺の陶謙翁なんか
若い時は正義感溢れる秀才官僚だったのですが、
浮世に揉まれていつの間にかやさぐれて、
漢の公務員にもかかわらず
一頃は、天子を僭称した奴の片棒なんか担いでいました。
ババ引いた地方官と何人もの「盗賊」
で、上記の次第で、生半可な地方の軍隊など、
いくら中央から派遣された高学歴の地方官が正論を唱えたところで、
この種の千単位・万単位の数で武装蜂起した盗賊には
到底太刀打ち出来ない訳です。
ヘタを打って戦争に敗れて落城の憂き目を見、
はたまた、そうでなくても、
土着の争いの巻き添えを喰って殺されたり、
あるいは城を放棄したりして処分を受けた人も何人もいます。
一方で、この「盗賊」というのも色々パターンがありまして、
家柄なんぞクソ喰らえで
腕っぷしにモノを言わせて略奪一本の奴もいれば、
出自は古い家柄で役所の主簿として名を連ねて地元では大きい顔をして、
裏の顔として、郡外で強盗を働くような狡猾な奴もいたりします。
ですが、その一方で、
時の政権が強かったり、地方官が優秀であったりすると、
馬鹿な部類は抵抗して殲滅されます。
大抵は、斬り合いの前に政権側の謀略に掛かって内部崩壊を起こします。
対して、利口な部類は地域の治安維持に貢献したり募兵に応じたりします。
当然、「利口」な部類で飛び抜けて優秀な者の中には、
君主の片腕になる者も現れます。
要は、その地域の土着の有力者や新興の山賊団が、
治安を維持する側・乱す側のどちらにも転んだ訳です。
辺境(特に北)なんか、
こういう事情に加えて異民族が絡むので
さらに話がややこしくなります。
極論すれば、今の感覚で言えば、
早い話、武力を持った者は、ほとんど例外なくクズと言える時代でした。
もっとも、今のメキシコの麻薬戦争も、この時代の兵乱もそうですが、
国家の治安機能が正常でない以上、
手段は非合法であれ非常識であれ、何であれ、
それぞれの立場に応じて自力救済を強いられるという
とんでもなく過酷な状況にあると言えます。
曹操も、元は、
命知らずのハードボイルド地方官
こういう、上では天下国家を語る三国志の皮を被りながら、
下では地方官よりも盗賊の方が強い水滸伝の後漢末期。
このドン・ウィンズロウの『犬の力』さながらの、
国教の儒教の教えが霞んで見えるような弱肉強食の時代における
裏の主役は、
こういう縁の下の力持ちである、
コーエーのゲームに出て来るかどうかも怪しい
無名の腕利きの地方官や、
群雄の軍事力を支えた荒くれ盗賊団ではなかったかと思います。
恐らく、英才教育を受けて若くして孝廉を通るような優秀な頭脳でも
賄賂を取るのが仕事だと居直るクソな地方官が大勢いたであろう中で、
(でなかったら、大土地所有による小農の没落と富の偏在や、
その弊害が国体の否定という最悪の形で露呈した黄巾の乱なんぞ、
そもそも起きていないと思います。)
一握りの真面目な地方官やその部下の官吏達が、
例え我が身が賊の凶刃で朽ちようが、
朝廷を牛耳る曹操に漢の未来を託して
目の前の武力に優る盗賊共と虚実の駆け引きを行う訳でして、
肝の据わった人の場合、
交渉の席で盗賊の頭を斬ったりします。
事実、曹操の若き日も、こういう正義感の強い地方官そのもので、
もう少し言えば、曹操のような優秀な人が星の数輩出しては、
命の遣り取りで呆気なく命を散らした時代でした。
あの時代の知識人階級が自ら剣を取って募兵して寡兵を指揮し、
若き日の向こう見ずさで生き残ったことの方が不思議な位だと思います。
穢れ仕事と綺麗事
当然、こういう泣く子も黙る叩き上げの地方官が、
群雄の目に留まって中央で大きい仕事をする、というケースもあります。
劉曄や程昱等がその典型。
(追記:エラい間違いを犯して大変恐縮です。
程昱も劉曄も、地元で切った張ったをやった時は、
地方の名士であっても官には就いていません。
気骨のある地方官としては、例えば梁習や王脩等。)
ですが、程昱なんか本当に可哀想な人で、
曹操が食糧に困っている時に自分の出身地を略奪してまで
3日分の食糧を工面したのですが、
そのうえそれに人の乾肉を混ぜたことが朝廷の不興を買い、
大臣になれなかったそうな。
また、王忠も人の肉を食べて、
そのことで曹丕にからかわれ続けたそうで、
当人達にしてみれば、恐らくは、
人間辞めたいのを我慢して死に物狂いでやっているのに、
現場の苦労を見てみぬフリの
こういう無神経なのが文帝だの宮廷官僚だのやっている訳で、
人間、環境で如何様にも変わるもので、
王朝文化も、度が過ぎれば待つのは亡国だと思います。
曹爽が政策でも政争でも司馬懿に勝てない訳です。
妄想・楊奉伝・その1
ハードボイルド盗賊、その名は楊奉
また、盗賊の中にも、
損得勘定だけで動く人ばかりでもなく、
例えば楊奉なんか、ピカレクスを体現して格好良いと言いますか。
この人、元は白波賊(大規模盗賊団)の頭目だったのですが、
人生のハイライトを迎える直前は、董卓配下の李カクの部下でした。
妄想・楊奉伝・その2
ヒャッハーな街角から天子様を救出
転機は董卓の横死。
その跡目争いで首都の長安は灰燼に帰し、
天子様は側近を殺されるという具合に散々な目に遭いました。
さすがに元は盗賊はいえ、傍で観ていて、
こういう状況を潔しとはしなかったのでしょう。
まず李カクの暗殺を企て、
これに失敗した後は李カク・郭汜と全面抗争を始めます。
それだけであればやっていることは李カクと同じですが、
韓暹等、白波賊の仲間を呼び寄せて戦力増強を図る傍ら、
彼の陣地に逃げ込んで来た天子と僅かな側近を保護し
長安を脱出するという離れ業をやってのけます。
楊奉にしてみれば、
ここらが人生で一番運が向いた時期だったのかもしれません。
ですが、その後は、一転して運命の歯車が狂い始めます。
妄想・楊奉伝・その3
美味しいところは曹操が・・・
元の都の洛陽へ向かう途中の弘農で
李カク等に敗れて李カクの略奪・狼藉を許したり、
安邑で臨時の政権を開いて
楊奉は政権の中枢に参画し韓暹等は上位の将軍の称号を貰うも
肝心の食糧が尽きて張楊の支援でどうにか洛陽入り出来たり、
洛陽に入ると、今度は董承と韓暹が抗争を始め、
楊奉も楊奉で決断力を欠き、
部下の徐晃が曹操に帰順すべきと説き(この辺りは役人出身だけあります)、
当初はそれに従おうとするも、結局は撤回し、
終いには曹操を敵に回して追討されるというグダグダぶり。
それでも、楊奉等の手回して天子が洛陽に戻ったことで、
早い段階で曹操の保護を受けられたことは大きかった訳です。
地方行政にコネ・手腕を持つ知識人層「名士」層の支持を得たことで
社会の混乱の収拾がそれだけ早まったことだけは間違いないでしょう。
妄想・楊奉伝・その4
ハッピー・エンドは似合わない
その後、楊奉等は盗賊の気質が抜けず出奔し、
元の稼業に手を出して徐州や揚州で略奪を繰り返し、
最後は、楊奉は民の味方の劉公叔に成敗されましたとさ。
さらに、孤立した韓暹は幷州に向かう途中、地方官との戦いで戦死。
何だか、古い映画ですが、
『明日に向かって撃て』のブッチ一味を見ているようで、
やっていることは手放しに褒められないものの、
7割のクズさと3割の義侠心という意味では、
ハード・ボイルドの主人公としては絵になると言いますか。
おわりに
さて、三国志の「正史」の原文ではなく和訳を中心に、
思ったことをツラツラを綴った次第ですが、
当時の世相の話をするつもりが
結局は人の話になってしまいまして、
オマケに冗長になってしまい、
中々思い通りに巧くいかないものだと思います。
その一方で、その内容を全て額面通りに受け取る訳にはいかないにせよ、
また、さまざまな文献と照合しても、
時代のカオスぶりについては、正史の内容と一連の文献との間には、
それ程の差異は感じられなかった、というのが率直な感想です。
また、曹操も孔明や仲達も、当時の真面目な地方官も、
無論、優秀ではあったが決して超人的な人間ではなく、
ましてや称えるべき正義感やそれに基づく行動・清貧さにも、
当時の「名士」階級に流行した考え方が反映された瘦せ我慢が
少なからず見え隠れします。
こういうのを、もう少し整理したうえで、
コーエーにゲームに出て来るような武将の出自や類型、仕事等を
少しでも整理出来ればと思う次第。
例えば、寒門出身の武将の生き様なんか、悲哀そのものだと思います。
【主要参考文献】
陳寿・裴松之:注 今鷹真・井波律子訳『正史 三国志』1~3巻
渡邊義浩『「三国志」の政治と思想』
高島俊男『中国の大盗賊』
堀敏一『曹操』
澁谷由里の『<軍>の中国史』
ドン・ウィンズロウ『犬の力』上・下
ヨアン・グリロ『メキシコ麻薬戦争』